マリウスの軍制改革と同盟市戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 07:18 UTC 版)
「内乱の一世紀」の記事における「マリウスの軍制改革と同盟市戦争」の解説
詳細は「マリウスの軍制改革」および「同盟市戦争」を参照 紀元前2世紀の終わり、軍人出身の執政官で民衆派のガイウス・マリウスは上述した歪みの1つである軍の弱体化と自作農の没落に対処すべく軍制改革をおこない、それまでの自作農からの徴兵制から志願兵制に切り替えることで軍の質的向上と失業農民の雇用確保に成功した。またマリウスは自らの改革によって精強さを取り戻したローマ共和国軍を率い、ゲルマニアから南下して来ていたキンブリ、テウトニらゲルマン人の軍勢に大勝(キンブリ・テウトニ戦争、前113年 - 前101年)、ヌミディア王ユグルタがローマ高官を買収し北アフリカでおこした反乱(ユグルタ戦争、前111年 - 前105年)にも勝利して、ローマの国防力再建に成果を挙げた。 しかし軍内部でイタリアの同盟市民とローマ市民との待遇差が消えたため(徴兵制時代のローマ市民兵は義務として軍の中核となり危険な任務を担ったが、軍制改革で志願兵制に移行して以降はこれが無くなった)、彼らは同じローマを構成する住民として市民権の付与を求め始めるようになり、これを既得権益が失われると考えた元老院とローマ市民が拒絶したことでイタリア半島内の諸同盟市の大反乱を引き起こすこととなる(同盟市戦争、前91年 - 前88年)。同盟市戦争は、マリウスの副官であった閥族派(オプティマテス)のルキウス・コルネリウス・スッラが元老院の了解のもと、イタリア半島内の諸都市住民の市民権付与を約束して鎮定されたが、軍を構成する兵士が市民兵から職業軍人に代わったことで、次第に元老院やローマ市よりも直近の上司である将軍達に忠誠心を抱くようになり、これは後に起きる内乱の要因のひとつともなっていった。
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