マリウス派とスッラ派の間でとは? わかりやすく解説

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マリウス派とスッラ派の間で

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/05 15:31 UTC 版)

ルキウス・マルキウス・ピリップス (紀元前91年の執政官)」の記事における「マリウス派とスッラ派の間で」の解説

執政官任期満了する前にローマ同盟都市反乱し同盟市戦争始まったこのため、翌紀元前90年にはウァリウス法が制定される。これは、同盟都市反乱扇動したローマ市民裁判にかけるための法律である。ピリップスはクィントゥス・ポンペイウス・ルフス紀元前88年執政官)とルキウス・メンミウス(紀元前89年護民官)の裁判に、告発側の証人として出廷している。キケロはこの裁判見学していたが、ピリップスは「特に雄弁で、彼の追求告発人の力強さ能弁さを持っていた。」と語っている。 同盟市戦争実質的に紀元前89年終結するが、今度マリウス派とスッラ派の間に、内戦勃発したこの内に関するピリップスの立場に関しては、歴史学者一致見ていない。ミュンツァーは、ピリップスはポプラレス民衆派)に属しており、騎士階級との関係も深いことから、マリウスであった考えている。一方では、どちらにも属さず行動の自由を確保していたとの見方もある。一つ確かなことは、紀元前87年末にマリウスルキウス・コルネリウス・キンナローマ占領したとき、ピリップスは他の多く元老院議員とは異なりローマ残ったということである。キンナ執政官務めた間(紀元前87年-紀元前84年)、ピリップスはローマ残っていた3人の執政官経験者のうちの1人であったこのため紀元前86年にはマルクス・ペルペルナと共にケンソル監察官)に就任している。このときに実施され国勢調査では、同盟市戦争後に市民権得たイタリック人対象になった。ただ、成人男子ローマ市民人口463,000人で、統計残っている紀元前115年394,336人からさほど大きく増えていない。大幅な人口増加認められるのは次の国勢調査紀元前70年)で、約91万人とされている。 このときの元老院議員監査で、ピリップスは叔父であるアッピウス・クラウディウス・プルケル(後の紀元前79年執政官就任)が元老院から除名されているが、これはプルケルがスッラ引き続き支援していたためである。一方で同じ年にピリップスは、紀元前89年グナエウス・ポンペイウス・ストラボがアスクルムで得た戦利品横領した罪で告発された、ストラボ息子である18歳グナエウス・ポンペイウス(後のポンペイウス・マグヌス)を法廷弁護したポンペイウス弁護した他の人物は、後に三度執政官となったグナエウス・パピリウス・カルボ と、若くて将来有望クィントゥス・ホルテンシウス・ホルタルス紀元前69年執政官であったプルタルコスによれば、ピリップスは法廷で「ピリッポス2世アレクサンドロス大王愛していても不思議ではない」と述べたと言うが、これはアレクサンドロス大王ポンペイウス外見似ているとされていたことを念頭に置いたものであった結局ポンペイウス無罪となったこの間に、マリウス派の主敵であるスッラバルカン半島ミトリダテス6世戦っていた(第一次ミトリダテス戦争)。スッラ同時にイタリアへの上陸とマリウス派との戦い準備しており、ミトリダテスとの間にダルダノスの和約締結するイタリア向かった元老院には両派の妥協案を唱える有力な中道主義グループがいたという意見がある。このグループルキウス・ウァレリウス・フラックス率いていたが、ピリップスもその一員であり、監察官として権限和平達成できる可能性もあった。しかし戦争避けられないことが明らかになると、ピリップスをはじめとする中道主義者は一人ずつスッラの側に回っていった。ピリップスが加わったことは、スッラ派にとって大成功であったそれまでスッラ派は監察官を正当と認めていなかった。紀元前82年スッラはピリップスにサルディニア属州支配するよう依頼したマリウス派の総督クィントゥス・アントニウス・バルブスは追放されて殺された。おそらくこの直後、ピリップスはコルシカ島をも占領した思われる

※この「マリウス派とスッラ派の間で」の解説は、「ルキウス・マルキウス・ピリップス (紀元前91年の執政官)」の解説の一部です。
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