監察官として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/03 02:44 UTC 版)
「ガイウス・フラミニウス」の記事における「監察官として」の解説
紀元前220年には監察官(ケンソル)を勤め、ローマからリミニまでを結ぶフラミニウス街道や、カンプス・マルティウスにフラミニウス競技場を築いた。この年のケンソルは多忙で、同僚のルキウス・アエミリウス・パプスと共に植民市としてガリア・キサルピナにクレモナ、プラケンティアを建造、解放奴隷をローマ市内の都市トリブス(投票区)に振り分け、更には縮充工に関わる法案を通すなどした。 また元老院議員としては紀元前218年に当時の護民官クィントゥス・クラウディウスを支援して、元老院議員とその子息に300アンフォラ以上の大型船舶を所有することを禁止するクラウディウス法を通過させた。 しかしその年、ローマに激震が走る。ハンニバルのアルプス越えである。イタリア侵入後のハンニバルがローマに勝利するのを見たキサルピナのガリア人は、雪崩を打ってハンニバル陣営に加わった。
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