都市トリブス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/16 04:37 UTC 版)
リウィウスによれば、王政ローマ6代目セルウィウス・トゥッリウス王はケンスス (国勢調査)を行い、資産に応じて市民を6つのクラシス(階級)に分け、ケントゥリア(百人隊)を整備したが、そのとき街を4つの区域に分け、正に地区として4つのトリブスを定めたとしており、トリブスの由来をトリブトゥム(Tributum、分担する)であろうとしている。トゥッリウス王はケンススの終了時に行うルーストルム(Lustrum、清めの儀式)を4回行ったという。 ハリカルナッソスのディオニュシオスによれば、トゥッリウス王はローマの七丘をセルウィウス城壁で囲むと、ローマの街を4つの区域に分けて住民を登録した。丘にちなんでそれぞれ、 パラティナ(Palatina)区 スブラナ(Suburana)区 コッリナ(Collina)区 エスクィリナ(Esquilina)区 と名付けられ、住民が他の区に移住することも登録し直す事も禁じると、以後これまでの3つに代わってこの4つのトリブスが行政の基本とされたという。
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