ケンソルの譴責
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/31 21:08 UTC 版)
ケンソルの綱紀粛正の手段としてしばしば歴史上に見られるのは、ケンソルの譴責(ノタ・ケンソリア)と呼ばれる処分で、元老院議員に対してはその名簿作成の際に除名(senatu movere)することが出来、またエクィテスに対しては公有馬を没収することが出来た。この議員の検討(lectio、レクティオ)はケンスス前に完了し、元老院名簿(album senatorum)が作成された。この元老院からの除名に対しては、抗弁出来たという記録がなく、モムゼンは、新任された議員たちの便宜のためにも、この検討は早く終わらせる必要があったと考えている。 このノタ・ケンソリアに対する制限は紀元前58年の護民官プブリウス・クロディウス・プルケルの立法(Lex Clodia de censoria notione)で初めてなされた。それまでケンソルの一人が必要とみなすだけで譴責が行われていたが、譴責対象者は弁明を行うことが認められ、人々の見守る査問会(iudicia)において必要であるとケンソルの双方が認めた場合のみ行われるように変更された。しかしこれによってレクティオが煩雑になり、ケンススに支障を来すようになってしまった。この法は紀元前52年のクロディウスの死後に執政官クィントゥス・カエキリウス・メテッルス・ピウス・スキピオ・ナシカが廃止し、レクティオの手順は元に戻された。 また、その他にトリブスから移す(tribu movere)、アエラリウスに落とすといった処分もあり、これらは元来セットとして考えられてきたが、別々の処分であるとの見方もある。トリブスとはローマの選挙区のようなものであるが、地方にある農村トリブスと、ローマ市内の都市トリブスとに分けて考えられ、都市トリブスは農村トリブスに比べ解放奴隷や非嫡出子が多く登録されていたため、劣ったものと考えられていた。そのため、トリブスを移すとは、不名誉な都市トリブスへの移籍と考えられている。また、アエラリウス(アエラリィ)とは、兵役などといった義務を剥奪され、戦時特別税(トリブトゥム)のみを支払う不名誉な階級と考えられており、この地位に落とされることはやはり屈辱的なものであった。このような処分を受けたものは、カエレ人の表にその名を刻まれた。 ただ、ケンソルの譴責を受けてもそれは永久のものではなく、次のケンソルによって元の地位に戻されるようで、更に譴責を受けた後にケンソルに就任したものもいる。
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