マリウスとの諍い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 09:43 UTC 版)
「ルキウス・コルネリウス・スッラ」の記事における「マリウスとの諍い」の解説
マウレタニア王ボックス1世は、スッラやローマ市民のため、ユグルタ捕縛の場面を描いた戦勝像をカピトリウムに奉納した。これに怒ったマリウスは「無礼な戦勝像」を引き摺り下ろそうとしたが、スッラを支持するものたちも多く、論争が巻き起こった。しかし、この対決は中断された。同盟市戦争が勃発したからである。マリウスの軍制改革によってローマ正規軍は徴兵制から志願制に変わり、プロレタリイであっても兵役を勤め上げれば土地を与えられるようになったのに対し、ローマ市民と同様に兵力供出の義務を負っていたが選挙権を持たなかった同盟市にとっては何のメリットもなく、彼らの不満が爆発して内乱状態となった。
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