古代ローマと中世初期の都市
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/22 07:38 UTC 版)
「ペーチ」の記事における「古代ローマと中世初期の都市」の解説
古代からペーチ一帯には定住の跡が見られ、考古学上最古の定住の証拠は6,000年前からとなる。ローマ人がやってくる前、ケルト人が住んでいた。ハンガリー西部がローマ帝国の属州パンノニアになると、2世紀初頭にローマ人は現在のペーチの場所にソピアナエという名のワイン生産植民地を数カ所建設した。ローマ時代の用水路の一部が今も見られる。属州パンノニアが4つの行政区に分割されると、ソピアナエはヴァレリナエと名付けられた区の首都となった。 4世紀の初頭、ソピアナエは重要なキリスト教徒の都市となっていた。この時代に初期キリスト教徒の墓地が作られ、「ペーチ(ソピアナエ)の初期キリスト教墓所」の名で現在UNESCO世界遺産となっている。 4世紀終わりには、異民族とフン族の侵攻によってこの一帯のローマ支配が弱体化した。カール大帝がやってきたとき、この地域を支配していたのはアヴァール族とスラヴ人だった。ペーチ周辺を征服したシャルルマーニュは、神聖ローマ帝国に併合した。この地域はザルツブルク司教座に属していた。 871年にザルツブルクで書かれた文書には、クインクエ・バシリカエの名前で中世初期の都市が初めて記載された。
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