賽は投げられた
賽(さい)は投(な)げられた
賽は投げられた
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/13 08:26 UTC 版)
「賽は投げられた(さいはなげられた)」(古典ラテン語:ālea iacta est、jactaとも、アーレア・ヤクタ・エスト)とは、ガイウス・ユリウス・カエサルが紀元前49年1月10日[1]、元老院のグナエウス・ポンペイウスに背き軍を率いて南下し北イタリアのルビコン川を通過する際に言ったとして知られる言葉。当時のカエサルはガリア総督だった。出典はスエトニウスの文章 (iacta alea est[2]) である。現在は、「もう回帰不能点を越してしまったので、最後までやるしかない」という意味で使われている。
- ^ 明石和康『ヨーロッパがわかる 起源から統合への道のり』岩波書店、2013年、関連年表頁。ISBN 978-4-00-500761-5。
- ^ スエトニウス『皇帝伝』カエサル、32
- ^ スエトニウス 『皇帝伝』 国原吉之助訳、岩波書店〈岩波文庫〉、1986年、41頁より引用
- ^ Perseus Digital Library Suet. Jul. 32
- ^ Βίοι Παράλληλοι/Πομπήιος 60
- ^ Robert Renehan (1969). Greek Textual Criticism: A Reader. Harvard University Press. pp. 54-55. ISBN 0674363108
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「賽は投げられた」の例文・使い方・用例・文例
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