属州制からテマ制へとは? わかりやすく解説

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属州制からテマ制へ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 02:15 UTC 版)

東ローマ帝国」の記事における「属州制からテマ制へ」の解説

詳細は「テマ制」を参照 地方では、初期古代ローマ後期属州制のもと、行政権軍事分けられ体制取られていたが、中期になるとイスラムブルガリア攻撃に対して迅速に防衛体制を整えるために地方軍長官がその地域行政権を握るテマ制軍管区制)と呼ばれる体制になったテマ制は、自弁武装用意できるストラティオティスと呼ばれる自由農民兵士としてテマ単位管理し国土防衛任務当たらせる兵農一致体制でもあり、国土防衛士気の高い兵力すばやく動員することができた。ストラティオティスはその土地土着の自由農民だけでなく、定着したスラヴ人なども積極的に編成された。ストラティオティスは屯田兵でもあり、バルカン半島などへの大規模な植民おこなわれている。彼らの農地法律他者への譲渡禁じられテマ単位辺境地域への大規模な屯田おこなわれるなど、初期には帝国によって厳格に統制されていたと思われるテマ制度を可能ならしめた要因として、6世紀末から8世紀時期従来のコローヌスに基づく大土地所制度徐々に解体されたことが挙げられる。この時代帝国の混乱期で、スラヴ人ペルシア人侵攻によって農村大土地所有や都市打撃与え帝国中小農民による村落共同体中心とした農村社会変貌させた。このような村落共同体形態としてはスラヴ的な農村共同体ミールとの類似性指摘する説があるが、現在では東ローマ独自のものであるという見方が強い。

※この「属州制からテマ制へ」の解説は、「東ローマ帝国」の解説の一部です。
「属州制からテマ制へ」を含む「東ローマ帝国」の記事については、「東ローマ帝国」の概要を参照ください。

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