帝国の混乱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 05:54 UTC 版)
また、メフメト3世は国内において、新しい困難に直面することとなった。それは17世紀初頭のイスタンブールでの騒擾である。これは大宰相とイスラム長老が対立し、前者はイェニチェリ、後者は常備騎兵と繋がることで、両集団の争いが暴力を伴う抗争に激化した。最終的には鎮静化したものの、これ以降たびたびこの騒擾は繰り返されるようになる。この騒擾においては、常備騎兵軍団によってメフメトの廃位が仄めかされていた。疑心暗鬼に陥ったメフメト3世は母のサフィエ・スルタンの讒言により1603年、混乱の背後に何者かがいるとして息子のシェフザーデ・マフムトとその使用人たちを処刑した。 晩年にはアッバース1世率いるサファヴィー朝がかつて父のムラト3世が獲得した領土に侵攻してきた。 1603年、暴飲暴食が原因で38歳で崩御し、後を子のアフメト1世が継いだ。
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