ルッカ会談
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 09:47 UTC 版)
「グナエウス・ポンペイウス」の記事における「ルッカ会談」の解説
カエサルはガリア戦争で目覚しい実績を積み重ね、ローマ市民からの人気が高まっていた。一方で元老院派からのカエサルへの攻撃は厳しく、対応に迫られたカエサルが主導する形で紀元前56年に3者はイタリア北部のルッカで会談を持った。紀元前55年にポンペイウスはクラッススと共にコンスルに当選して2度目の就任が決まった。 この年はクロディウスや元老院派の暗躍を抑え込むと共に、カエサルのガリア総督としての任期を5年延長すること、クラッススがシリア属州総督となること、ポンペイウスがヒスパニア属州総督となること等が決議された。また、エジプト国王(ファラオ)で王位を追われていたプトレマイオス12世からかねてより嘆願のあった王位への復位を叶えるため、ポンペイウスは配下の武将でシリア属州を統治していたガビニウスを通じて軍をエジプトへ派遣し、プトレマイオス12世に代わってファラオに就いていたベレニケ4世を追放すると共にプトレマイオス12世をファラオとした。エジプトは独立は保ったものの、事実上はポンペイウスの属国的存在となった。
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