王位へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/11 14:45 UTC 版)
「プトレマイオス・ケラウノス」の記事における「王位へ」の解説
紀元前283年または282年頃にリュシマコスが後継者問題で対立した息子アガトクレスを処刑すると、ケラウノスは同母妹でアガトクレスの妻リュサンドラの味方につき、シリア王セレウコス1世の許へ助けを求めに向かった。セレウコスは対リュシマコスの兵を挙げてリュシマコスが支配していた小アジアに侵攻し、紀元前281年のコルペディオンの戦いで彼を敗死させた。しかし、この七ヶ月後にケラウノスは(セレウコスには自身の登位を援助する意思がないことに気づき)セレウコスを暗殺した。ケラウノスはこれをリュシマコスの復讐としてアピールし、マケドニアの王位に就くことを宣言した。そして、彼はリュシマコスの後継者としての地位を印象づけるためにリュシマコスの寡婦となったアルシオネに結婚を申し込んだ。しかし、アルシオネと結婚したケラウノスはアルシオネの子供たちを殺し、彼女をサモトラキアへと追放して彼女が支配していたカッサンドレイア市を奪った。また、ケラウノスはエピロス王ピュロスと同盟を結び、ピュロスのイタリア遠征の際には歩兵5000人、騎兵4000騎、戦象50頭を貸した。マケドニアの王位についたケラウノスはセレウコスの子アンティオコス1世、マケドニア王位を狙うアンティゴノス2世とギリシアを舞台に戦い、アンティゴノスを破り、アンティオコスと講和した。
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