王位への布石
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 01:59 UTC 版)
興宣君はならず者か乞食のような装いの裏で着々と有力者に近づく努力を続けていた。親交を結んだ趙成夏(承侯君)の伝手で、彼のおばに当たり安東金氏に対抗する豊壌趙氏の神貞王后の知己を得ることに成功する。興宣君と神貞王后は謀議を重ね、息子の命福(高宗の幼名)を王位継承者とする合意を得た。それによって宮中の宦官や女官を包摂し、王族とのつながりを深くした。安東金氏とも親交を結ぶ為に金炳学や金炳国らと通じ、安東金氏の中からも興宣君を支持する者も現れた。
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