紀元前7世紀
紀元前600年代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 11:31 UTC 版)
詳細は「紀元前600年代」を参照 紀元前609年ハッラーンの戦いで敗北し、アッシュール・ウバリト2世が戦死しアッシリアが完全に滅亡。 メギドの戦いでエジプト王ネコ2世がユダ王ヨシヤを戦死させる。以後ユダはエジプトの服属国となり、「海の道(Derekh Ha Yam)」の要衝としてのメギドの地位は低落。 戦場となった「メギドの丘」を意味する「ハルマゲドン」の語は後に黙示文学において「最終戦争」の意味で転用されるようになる。 紀元前607年 - 趙穿が晋の霊公を殺害する。亡命途上の趙盾が帰国し成公を擁立。 紀元前606年 - 楚の荘王が周の都洛邑へ進軍し「鼎の軽重」を問う。 紀元前605年カルケミシュの戦いで新バビロニアがエジプトに勝利。 新バビロニアでネブカドネザル2世が即位。 紀元前600年以前 - リュディア王アリュアッテスがキンメリア人を撃滅する。
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紀元前600年代
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紀元前600年頃ギリシア系フォカイア人が南フランスに植民市マッシリアを建設。 ギリシアでアルカイック期中期。彫刻「スニオンのクーロス(アテネ国立考古学博物館蔵)」、「クレオビスとビトンの像(デルポイ考古学博物館蔵)」が作成される。 プラエネステのフィーブラ(留め具)(ローマのピゴリーニ国立先史民族博物館蔵)が作成される。黄金の基体に現存最古のラテン語(古ラテン語)の刻文がある。 中央ヨーロッパでハルシュタット文化D期。「ヒルシュランデンの戦士像(英語版)(シュトゥットガルトのヴュルテンベルク州立博物館蔵)」が作られる。 「ビチ・スカラ洞窟(英語版)の牡牛像(ウィーン自然史博物館蔵)」が作られる。 現ロシア連邦のトゥヴァ共和国サリグ・ブルン(Saryg-Bulun)で少女の戦士が埋葬される。 内モンゴル南部の黄河屈曲部でオルドス青銅器文化(綏遠青銅器文化)が展開( - 紀元前100年頃)。 インドでマガダ国やコーサラ国などの十六大国が成立する。
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