キンメリア人
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キンメリア人(キンメリアじん、英語: Cimmerians, Kimmerians, 古代ギリシア語: Κιμμέριοι)は、紀元前9世紀頃に南ウクライナで勢力をふるった遊牧騎馬民族。ギリシア語ではキンメリオイと呼ばれる。そのため、彼らの住む地域(南ウクライナ)はキンメリアと呼ばれた。
- ^ ここのスキュティア人移動の記述では、カスピ海の北方と南方で別々に起こった移動を混同している形跡がある。本来北方で起こったと考えるべきで、そうすればアラクセス河は、普通その名で呼ばれる、アルメニアに発しカスピ海に注ぐ河ではなく、むしろヴォルガ下流を指すことになる。《松平 1988,p180》
- ^ この部分に関連して、キンメリア人の南方と西方への発展はスキタイ人の進出よりはるか以前より始まっていて、その遠征により手薄になった黒海沿岸の中心地にスキタイ人が侵入し、キンメリアのボスポロス部分は分断され、徐々に弱められて滅亡に至った、という仮説が歴史家ロストフツェフによって提出されている。
- ^ ケルチ海峡の一部であるイェニカレ海峡のことか。《松平 1988,p180》
- ^ 護・岡田 1900,p30、林 2007,p88-89
- ^ 林 2007,p90
- ^ 林 2007,p90-91
- ^ 林 2007,p92
- ^ 護・岡田 1990,p31-34
- ^ 林 2007,p97
- 1 キンメリア人とは
- 2 キンメリア人の概要
- 3 「キンメリア」に関する作品
キンメリア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 21:46 UTC 版)
キンメリア人の住地すなわち「キンメリア」は現在の南ウクライナにあたる。それを思わせる記述がヘロドトスの『歴史』、ストラボンの『地理誌』に記されている。 スキュティア人ははじめアジアの遊牧民であったが、マッサゲタイ人に攻め悩まされた結果、アラクセス河(ヴォルガ川)を渡りキンメリア地方に移ったという。今日スキュティア人の居住する地域(南ウクライナ)は、古くはキンメリア人の所属であったといわれるからである。 — ヘロドトス 第4巻11 キンメリコンは、以前は市で半島の上に位置し、堀割と堤防で地峡を封鎖していた。ボスポロス地方ではかつてキンメリア族が大きな兵力を保有し、この地方に「キンメリア」の異名が付いたのもこのためだった。そして、黒海右岸からイオニア地方にかけての内陸諸地域の住民を追出した。それから、スキュタイ族が後者をこれらの地域から追払い、そのスキュタイ族をギリシア人が追払ってパンティカパイオンをはじめとするボスポロス地方諸都市を建設した。 — ストラボン 第11巻第2章5 ストラボンの時代、現在のケルチ海峡はキンメリオス・ボスポロス海峡と呼ばれていた。その様子と名の由来をヘロドトスとストラボンは以下のように記している。 いまもスキュティア地方には、「キンメリア砦」とか「キンメリア渡し」とかがあり、キンメリアの名で呼ばれる地方もあれば「キンメリア・ボスポロス」と呼ばれる海峡もあるのである。 — ヘロドトス 第4巻12 その(ポセイドニオスの)推測によると、キンブリ族は盗賊と放浪を常とする部族なのでマイオティス湖(現在のアゾフ海)周辺まで遠征を行った結果、この部族の名からキンメリオス・ボスポロス海峡という呼び名ができた。ギリシア人がキンブリ族をキンメリオイという名にしたので、キンブリコスというべきところをキンメリオスと呼んだ。 — ストラボン 第7巻第2章2 山ではもうひとつキンメリオン山もおなじ山岳地帯にあり、山名はキンメリオイ族がかつてボスポロス地方に勢力を張っていたことから来ている。マイオティス湖口につづく海峡を総称してキンメリオス・ボスポロスと呼ぶのもこの歴史に基づく。 — ストラボン 第7巻第4章3
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キンメリア
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上述の通り、海底に沈んだアトランティス人の末裔。現在の大ブリテン島とデンマークの間、北海に当たる地域にあり、大変動で陸地になったハイボリア大陸の一部。 前時代のトゥーレ人の文明は、異民族を傭兵として利用し続けるあまりに内部から崩壊し、ついに異民族の将軍が誕生するまでに至ってアトランティス人もピクト人も自らの為に遠征を繰り返し、各地に自分たちの都市を建設した。これにより大変動でアトランティス本国やピクト群島が壊滅しても各地には、アトランティス人とピクト人だけが生き残った。大変動の後もアトランティス人は、ピクト人と絶え間なく争い続ける間に文明レベルが低下し、獣同然の境遇に落ち込んだ。「ピクト人とキンメリア人の間に平和が訪れたことはなく、その戦いは、この世界のはじまりよりも古いものだ」とコナンが語っているように両民族の争いは、アトランティス大陸が地上にあった頃から続き、ハイボリア時代においても変わらない。 ハイボリア時代を通して他の民族に征服されたことはない。『黒河を越えて』によればアキロニアが植民地化しようとしたことがあったが各氏族の連携により失敗した。この戦乱がコナンにとっての初陣になった。 主にクロムとその眷属を信仰する。これは、古代ケルト神、クロム・クルアハかクロム・ドーがモチーフとされる。クロムは、高い山の上に住み、人々に死の運命を投げかける。軟弱な人間を嫌うクロムは、救いの祈りを受け取らず、むしろ目に着かないようにしなければならない。勇気、自由意思、戦う力を与えると信じられている。クロム信仰のためかキンメリア人は、現世にも死後の世界にも希望を持たず、鬱々としている。コナンが故郷を飛び出したのは、この陰気な民族性が気に入らないからだとしている。 実際に歴史上に存在したキンメリアとは、一切関係ない。
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