キンメリアとは? わかりやすく解説

キンメリア人

(キンメリア から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/25 03:48 UTC 版)

キンメリア人(キンメリアじん、英語: Cimmerians, Kimmerians, 古代ギリシア語: Κιμμέριοι)は、紀元前9世紀頃に南ウクライナで勢力をふるった遊牧騎馬民族。ギリシア語ではキンメリオイと呼ばれる。そのため、彼らの住む地域(南ウクライナ)はキンメリアと呼ばれた。


  1. ^ ここのスキュティア人移動の記述では、カスピ海の北方と南方で別々に起こった移動を混同している形跡がある。本来北方で起こったと考えるべきで、そうすればアラクセス河は、普通その名で呼ばれる、アルメニアに発しカスピ海に注ぐ河ではなく、むしろヴォルガ下流を指すことになる。《松平 1988,p180》
  2. ^ この部分に関連して、キンメリア人の南方と西方への発展はスキタイ人の進出よりはるか以前より始まっていて、その遠征により手薄になった黒海沿岸の中心地にスキタイ人が侵入し、キンメリアのボスポロス部分は分断され、徐々に弱められて滅亡に至った、という仮説が歴史家ロストフツェフによって提出されている。
  3. ^ ケルチ海峡の一部であるイェニカレ海峡のことか。《松平 1988,p180》
  4. ^ 護・岡田 1900,p30、林 2007,p88-89
  5. ^ 林 2007,p90
  6. ^ 林 2007,p90-91
  7. ^ 林 2007,p92
  8. ^ 護・岡田 1990,p31-34
  9. ^ 林 2007,p97


「キンメリア人」の続きの解説一覧

キンメリア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 21:46 UTC 版)

キンメリア人」の記事における「キンメリア」の解説

キンメリア人の住地すなわち「キンメリア」は現在のウクライナにあたる。それを思わせる記述ヘロドトス『歴史』ストラボンの『地理誌』に記されている。 スキュティア人ははじめアジア遊牧民であったが、マッサゲタイ人攻め悩まされ結果、アラクセス河(ヴォルガ川)を渡りキンメリア地方移ったという。今日スキュティア人の居住する地域(南ウクライナ)は、古くキンメリア人所属であったといわれるからである。 — ヘロドトス 第4巻11 キンメリコンは、以前は市で半島の上位置し堀割堤防地峡封鎖していた。ボスポロス地方ではかつてキンメリア族が大きな兵力保有し、この地方に「キンメリア」の異名付いたのもこのためだった。そして、黒海右岸からイオニア地方にかけての内陸諸地域住民追出した。それから、スキュタイ族が後者をこれらの地域から追払い、そのスキュタイ族をギリシア人が追払ってパンティカパイオンはじめとするボスポロス地方都市建設した。 — ストラボン 第11巻第2章5 ストラボン時代現在のケルチ海峡はキンメリオス・ボスポロス海峡呼ばれていた。その様子と名の由来ヘロドトスストラボンは以下のように記している。 いまもスキュティア地方には、「キンメリア砦」とか「キンメリア渡し」とかがあり、キンメリアの名で呼ばれる地方もあれば「キンメリア・ボスポロス」と呼ばれる海峡もあるのである。 — ヘロドトス 第4巻12 その(ポセイドニオスの)推測によると、キンブリ族盗賊放浪を常とする部族なのでマイオティス湖(現在のアゾフ海周辺まで遠征行った結果、この部族の名からキンメリオス・ボスポロス海峡という呼び名ができた。ギリシア人キンブリ族キンメリオイという名にしたので、キンブリコスというべきところをキンメリオスと呼んだ。 — ストラボン 第7巻第2章2 山ではもうひとつキンメリオン山もおなじ山岳地帯にあり、山名キンメリオイ族がかつてボスポロス地方勢力を張っていたことから来ている。マイオティス湖口につづく海峡総称してキンメリオス・ボスポロスと呼ぶのもこの歴史に基づく。 — ストラボン 第7巻第4章3

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キンメリア

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英雄コナン」の記事における「キンメリア」の解説

上述通り海底沈んだアトランティス人末裔現在の大ブリテン島デンマークの間、北海に当たる地域にあり、大変動陸地になったハイボリア大陸一部前時代トゥーレ人文明は、異民族傭兵として利用し続けあまりに内部から崩壊し、ついに異民族将軍誕生するまでに至ってアトランティス人ピクト人も自らの為に遠征繰り返し各地自分たちの都市建設した。これにより大変動アトランティス本国ピクト群島壊滅して各地には、アトランティス人ピクト人だけが生き残った大変動の後もアトランティス人は、ピクト人絶え間なく争い続ける間に文明レベル低下し同然境遇落ち込んだ。「ピクト人キンメリア人の間に平和が訪れたことはなく、その戦いは、この世界はじまりよりも古いものだ」とコナン語っているように両民族争いは、アトランティス大陸地上にあった頃から続きハイボリア時代においても変わらないハイボリア時代通して他の民族征服されことはない。『黒河越えてによればアキロニアが植民地化ようとしたことがあったが各氏族の連携により失敗した。この戦乱コナンにとっての初陣になった。 主にクロムとその眷属信仰する。これは、古代ケルト神、クロム・クルアハかクロム・ドーがモチーフとされるクロムは、高い山の上住み人々に死の運命投げかける軟弱な人間を嫌うクロムは、救い祈り受け取らず、むしろ目に着かないようにしなければならない勇気自由意思、戦う力を与えると信じられている。クロム信仰のためかキンメリア人は、現世にも死後の世界にも希望持たず鬱々としている。コナン故郷飛び出したのは、この陰気民族性気に入らないからだとしている。 実際に歴史上存在したキンメリアとは、一切関係ない

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