考古学におけるキンメリア人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 21:46 UTC 版)
「キンメリア人」の記事における「考古学におけるキンメリア人」の解説
スキタイ時代が始まる前、南ロシア草原には地下横穴墓(カタコンブナヤ)文化と、木槨墓(スルブナヤ)文化という2つの大きな文化の流れがあった。両文化の年代について諸説あるが、A.M.レスコフの説によると、地下横穴墓文化は前2000年頃に黒海北岸で成立し、前1500年頃になってヴォルガ川流域で発生した木槨墓文化にとって代わったという。ある研究者は地下横穴墓文化をキンメリア人、木槨墓文化をスキタイの文化とみなすが、地下横穴墓文化が木槨墓文化に代わる前1500年とキンメリア人が小アジア(アナトリア)に現れる前8世紀とでは年代の開きがあるため確実とは言えなかった。そんな中、木槨墓文化とスキタイ文化の間に期間が短いものの、木槨墓文化より騎馬民族的な先スキタイ時代と呼ばれる文化が発見された。この先スキタイ時代は年代が諸説あるものの、チェルノゴロフカ期(前8世紀中ごろ~前7世紀初め/前900年~前750年)とノヴォチェルカッスク期(前8世紀末~前7世紀末/前750年~650年)の2つに細分される。ある研究者は先スキタイ時代をキンメリア人とスキタイのものであるとし、両民族は名前が違うが同じ民族であるとした。A.M.レスコフはチェルノゴロフカ期をキンメリア人、ノヴォチェルカッスク期をスキタイの文化とした。A.I.テレノシュキンはチェルノゴロフカ期、ノヴォチェルカッスク期ともキンメリア人の文化であるとし、先スキタイ時代をキンメリア時代と呼んだ。A.I.テレノシュキンはここで先スキタイ時代とスキタイ時代には埋めがたい溝があり、両民族はまったくの別民族であると主張した。 実際、北カフカスや黒海北岸で出土した先スキタイ時代の武器や馬具とそっくりなものが、アナトリア中部と東部の遺跡で発見されており、中でもイミルレル遺跡はキンメリア人が移住したとされるスィノプから南へわずか120キロほどの距離にある。 骨角器装身具 短剣 矢じり(鏃)(ウクライナ語版) 鉄器
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