黒絵式
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黒絵式(くろえしき、英: black-figure)は、紀元前7世紀からあらわれた古代ギリシア陶器の壺絵の技法の一つである。黒像式(こくぞうしき)とも呼ばれる。
黒絵式の時代は、特に紀元前7世紀から5世紀の間とされるのが一般的だが、紀元前2世紀頃と遅い説もなされている。技法のスタイルは、黒絵式より先に起きた東方化様式と続いて起こる赤絵式の時代と区別された。素焼きの明るい地の上に黒色を主とする装飾画が描かれるのでこの名称がある。焼成前に人物像などを黒色の平塗りで形をとり、細部は針で引っ掻いて白や赤線で描かれるので、きびきびとした描線を特色とした。紀元前7世紀のコリントス[1]で発明され、アッティカ(アテナイ)に伝わった。重要な生産拠点としてラコニア(スパルタ)[2]、ボイオーティア[3]、エウボイア島のエレトリア[4]、東部ギリシア[5]、エトルリアなどに広まっていった。
脚注・出典
- ^ M. T. Campbell A Well of the Black-figured Period at Corinth, Hesperia, vii (1938), pp. 557–611.
- ^ C. M. Stibbe Lakonische Vasenmaler des sechsten Jahrhunderts v.chr., 2 vols, 1972. M. Pipili Laconian Iconography of the Sixth Century BC, 1987
- ^ K. Kilinski II Boiotian Black Figure Vase Painting of the Archaic Period, 1990
- ^ J. Boardman Pottery from Eretria, Annu. Brit. Sch. Athens, xlvii, 1952, pp. 1–48
- ^ R. M. Cook and P. Dupont East Greek Pottery, 1998
関連項目
黒絵式
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黒絵式(くろえしき black-figure)の時代は紀元前620年から紀元前480年ごろで、アルカイク期の中期から後期にほぼ相当し、黒像式(こくぞうしき)とも呼ばれる。人物像などをシルエットで描き線刻で詳細な描写をするという技法で、紀元前7世紀のコリントスで発明された。そしてコリントスからアッティカ(アテナイ)、ラコニア(スパルタ)、ボイオーティア、エウボイア島(エレトリア)、ギリシャ東方の島々などに広まっていった。 コリントス産の黒絵式陶器については Humfry Payneや Darrell Amyxの研究に詳しく、動物と人物が並行して主題として描かれている。動物を主題とした絵は花器や壷に多く、初期のコリントス産陶器に見られる。コリントスの絵付師らは次第に人物の描写が上達していき、帯状の動物の絵が小さくなり、人物を描写した場面が大きくなっていった。しかし、紀元前6世紀中ごろまでにコリントスの絵付師の腕はひどく低下し、一部の絵付師はアテナイの陶器を真似て地の色をスリップ(液状粘土)で赤く染めるまでになった。 黒絵式が様式として完成したのはアテナイである。絵付師が署名し始めたのもアテナイでのことで、ソフィロスの署名したものが現存する中では最古である(紀元前580年ごろ)。これは墓の装飾など記念碑的な作品を作るようになったために絵付師が芸術家として注目されるようになってきたことを示している。例えばクレイティアスの「フランソワの壷」はエトルリア人の墓から見つかった。黒絵式の傑作とされるものは、エクセキアスの作品や「アマシスの画家(Amasis Painter)」の作品で、彼らの構図や物語性は同時代の絵付師とは一線を画している。 紀元前520年ごろに赤絵式が生み出され、その先駆けとしてアンドキデスの画家(英語版)、オルトス(英語版)、プシアクス(英語版)といった絵付師がバイリンガル陶器(英語版)(一面が黒絵式で反対側が赤絵式の陶器)という形でこれを導入していった。その後赤絵式が主流となったが、黒絵式のアンフォラも紀元前4世紀ごろまで生産され続けた。
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