赤絵式とは? わかりやすく解説

赤絵式

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/10 03:05 UTC 版)

赤絵式(あかえしき、: red-figure)は、紀元前6世紀末にアテナイで生まれたギリシア陶器の壺絵の一つのタイプである。赤像式ともいわれている。技法は黒絵式のような線刻ではなく、絵付けの段階で、画像の部分だけを残し、壺の地全体を塗りつぶすのが特徴である。塗り残した部分の土は、焼成とともに赤みを帯びるのでこの名前が生まれた。細部は筆で直接描きこむようになり、いっそう自由な表現の幅が広がった。赤絵式の初期の絵付師は、黒絵式の絵も描いたしシックステクニック英語版と呼ばれる技法や白地技法英語版も使った。白地技法は赤絵式と同時期に開発された。しかし約20年もすると、Pioneer Group は人物像を主題とする陶器には常に赤絵式を使うようになり、黒絵式は初期の花模様にのみ使うようになった。彼らは偉大な芸術家だったというだけでなく(特にエウフロニオスエウテュミデス英語版)、何らかの価値観と目標を共有して意識的に活動していたという意味でも注目に値する。ただし、彼らが作品以外に何かを書き残したというわけではない。John Boardman は「彼らの経歴、共通の目的、競争を解き明かしたことは、考古学の成果ということができる」としている[1]


  1. ^ J. Boardman: Athenian Red Figure Vases: The Archaic Period, 1975, p29.


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赤絵式

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 05:28 UTC 版)

古代ギリシアの陶芸」の記事における「赤絵式」の解説

赤絵式(あかえしき red-figure)の技法紀元前6世紀末にアテナイ生まれた赤像式せきぞうしき)とも呼ばれ黒絵式のような線刻ではなく描線詳細直接描くことで表現の幅が広がった。赤絵式の初期絵付師は、黒絵式の絵も描いたしシックステクニック(英語版)と呼ばれる技法白地技法英語版)も使った白地技法は赤絵式と同時期に開発された。しかし約20年もすると、Pioneer Group人物像主題とする陶器には常に赤絵式を使うようになり、黒絵式初期花模様にのみ使うようになった。彼らは偉大な芸術家だったというだけでなく(特にエウフロニオスとエウテュミデス(英語版))、何らかの価値観目標共有して意識的に活動していたという意味でも注目に値する。ただし、彼らが作品以外に何かを書き残したというわけではない。John Boardman は「彼らの経歴、共通の目的競争解き明かしたことは、考古学成果ということができる」としている。 次の世代アルカイク期後期絵付師(紀元前500年から480年)は、自然主義的な作風増大させ、横顔の目の描き方にもそれが現れている。この時期には絵付師が大型陶器専門とする者と小型陶器専門とする者に分化していった。大型陶器絵付師としては「ベルリン画家英語版)」と「クレオフラデスの画家英語版)」がおり、小型陶器絵付師としてはドゥーリス(英語版)やオネシモス(英語版)がいた。 紀元前480年から紀元前425年にかけて、赤絵式は様々な流派発展していった。ミュソン(英語版)の工房と結びつけて見られるマンネリストと呼ばれる絵付師たちや「パンの画家 (Pan Painter)」などは、衣服描き方ポーズ古風誇張され身振り伴っていた。対照的にベルリン画家後継と見られるアキレス画家英語版)」は自然なポーズ好み、黒い背景または白地レキュトス人物像1つだけ描くのが普通だった。「ニオベの子画家英語版)」の流派にはポリュグノトス英語版)や「クレオフォンの画家英語版)」が含まれその作品には主題構成パルテノン神殿彫刻影響見られる紀元前5世紀末にかけて、アテーナー・ニーケー神殿見られるような彫刻影響陶器の絵に見られるようになり、髪の毛宝石など細部緻密に描くようになっていった。この作風絵付師としては「メイディアスの画家英語版)」がいる。 アテナイでは紀元前330年から紀元前320年アレクサンドロス3世支配下入ったことで陶器生産中断しアテナイの政治地位低下と共に衰退していった。しかし、南イタリアギリシア植民地では紀元前4世紀から紀元前3世紀かけても陶器生産続き地域別アプリアルカニアシチリアカンパニアパエストゥム)に5種類様式生まれ、赤絵式に多彩色を加えたものが発展した黒海沿岸植民地パンティカパイオンでは、ケルチ様式英語版)という豪華な様式生まれた。この時代有名な絵付師としては「ダリウス画家英語版)」や「冥界画家英語版)」がいる。彼らは紀元前4世紀後半活動しそれまで絵付師には見られない感情表現試みた複雑な多色場面描いた

※この「赤絵式」の解説は、「古代ギリシアの陶芸」の解説の一部です。
「赤絵式」を含む「古代ギリシアの陶芸」の記事については、「古代ギリシアの陶芸」の概要を参照ください。

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