だいげっし 【大月氏】
月氏
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月氏(げっし、拼音:Yuèzhī)は、紀元前3世紀から1世紀ごろにかけて東アジア・中央アジアに存在した遊牧民族とその国家名。紀元前2世紀に匈奴に敗れてからは中央アジアに移動し、大月氏と呼ばれるようになる。大月氏時代は東西交易で栄えた。『漢書』西域伝によれば羌に近い文化や言語を持つとあるが、民族系統については後述のように諸説ある。
- ^ 『史記』匈奴列伝・大宛列伝、『漢書』西域伝
- ^ 翕侯(きゅうこう)とはイラン系遊牧民における“諸侯”の意。烏孫などにも見受けられる。ベイリによればイラン語で“統率者”の意で、E.G.プーリーブランクによればトカラ語で“国家”の意であるという。また、のちのテュルク系国家に見られるヤブグ(葉護:官名、称号)に比定されることもある。
- ^ 『後漢書』西域伝では休密・雙靡・貴霜・肸頓・都密の五部翕侯となっている。
- ^ 『漢書』西域伝、『後漢書』西域列伝
- ^ 『後漢書』西域列伝
- ^ 『魏書』列伝第九十
- ^ 『三国志』烏丸鮮卑等伝、『魏書』列伝第九十
- ^ 『北史』列伝第八十五、『隋書』列伝第四十八、『新唐書』列伝第一百四十六下
- ^ 小谷 1999,p22-23
- ^ 岩村 2007,p101
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- ^ 岩村 2007,p101
- ^ 岩村 2007,p101
- ^ 小谷 1999,p23-24
- ^ ベックウィズ 2017,p156-157,p540-544
- ^ 榎一雄は大月氏における五翕侯を大月氏によって任命された土着有力者とした。
- ^ 江上波夫は五翕侯を大月氏によって任命された月氏人戦士の封建諸侯であるとした。
- ^ クチャ、カラシャール、トルファン地域。旧天山ウイグル王国領。
- ^ 徐文堪『吐火羅人起源研究』
- ^ 長安から文の刻まれた銅製仏座が出土
- ^ 徐文堪『吐火羅人起源研究』
- ^ 『史記』大宛列伝、『漢書』西域伝、『後漢書』西域列伝、『魏書』列伝第九十
- ^ 『魏書』志第二十 釈老志
- ^ 中国考古学者バクトリア地域に古代「月氏族」の遺跡を発見 AFP(2018年1月27日)2018年1月28日閲覧
- ^ 小松久男『中央ユーラシア史』P102
大月氏
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イシク湖周辺に逃れてきた月氏の残党(大月氏)は、もともとそこにいた塞族の王を駆逐してその地に居座った。しかし、老上単于(在位:前174年 - 前161年)の命により、烏孫の昆莫が攻めてきたため、大月氏はまた西へ逃れ、最終的に中央アジアのソグディアナ(粟特)に落ち着いた。そこで大月氏はアム川の南にあるトハリスタン(大夏)を征服し、その地に和墨城の休密翕侯(きゅうびつきゅうこう)、雙靡城の雙靡翕侯(そうびきゅうこう)、護澡城の貴霜翕侯(きしょうきゅうこう)、薄茅城の肸頓翕侯(きつとんきゅうこう)、高附城の高附翕侯(こうふきゅうこう)の五翕侯を置いた。 一方、前漢では日々匈奴の侵入に悩まされていたため、遂に西方の月氏と共同で匈奴を討つべく、武帝(在位:前141年 - 前87年)の時代に張騫を使者とした使節団を西域に派遣した。張騫は匈奴に捕われるなどして10年以上かけ、西域の大宛・康居を経て、ようやく大月氏国にたどり着いた。この時の大月氏王はかつて匈奴に殺された先代王の夫人で、女王であった。大月氏王は張騫の用件を聞いたが、やむなく移動してきた現在の土地が豊かで国家は安泰しており、すでに復讐の心は無く、漢が遠い国であることもあり、同盟を組むことはなかった。
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大月氏
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大月氏のいた場所は、『史記』や『漢書』に「大月氏国の都は嬀水の北に在り、その川の南にある大夏を役属させていた」という記述があることから、嬀水すなわちアム川の北(ソグディアナ)に在ったことが分かる。また、その周辺国として北に康居、東に大宛、南に大夏、西に安息(パルティア)があった。 また、大月氏の都は『漢書』では監氏城、『後漢書』では藍氏城、『魏書』では盧監氏城から薄羅城となっている。
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大月氏
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紀元前2世紀、匈奴に圧迫されて移動を開始した遊牧民の月氏は、中央アジアのバクトリアに定着した。これを大月氏と呼ぶ。『漢書』西域伝によれば、大月氏は休密翕侯・貴霜翕侯・雙靡翕侯・肸頓翕侯・高附翕侯の五翕侯を置いて分割統治したという。それから100余年後、五翕侯のうちの貴霜翕侯(クシャンきゅうこう)が強盛となり、他の四翕侯を滅ぼして貴霜王と称すようになった。 大月氏の諸侯はそれぞれコインを発行していたが、貴霜翕侯が発行したコインは他の諸侯の発行したコインに比べ数も多く、大型のコインは貴霜翕侯の物しか鋳造されなかった。
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