江上波夫とは?

えがみ‐なみお〔‐なみを〕【江上波夫】


江上波夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/30 14:53 UTC 版)

江上 波夫(えがみ なみお、1906年11月6日 - 2002年11月11日)は、日本の考古学者。東京大学名誉教授。


注釈

  1. ^ <参考 佐原真は次のように述べている。「騎馬民族説は、江上さんがつくり出した昭和の伝説」「戦時中には、日本神話が史実として扱われ、神武以来の万世一系の歴史が徹底的に教え込まれました。江上説にはそれをうちこわす痛快さ、斬新さがあり、解放感をまねく力がありました。また、人びとの心の奥底では、日本が朝鮮半島や中国などに対して近い過去に行ってきたことの償いの役割を、あるいは果たしたのかもしれません」(『騎馬民族は来なかった』日本放送出版協会、1993年)田辺昭三は次のように述べている。「この説はこれが提唱された時代の要請の中で生まれた産物であり、いくら装いを改めても、もはや現役の学説として正面から取り上げる段階ではない」(『卑弥呼以後―甦る空白の世界』徳間書店、1982年)大塚初重は次のように述べている。「多くの考古学者はこの仮説には否定的であったが、アジア大陸での雄大な民族の興亡論にロマンを感じる人も多かった」(『朝日新聞』、2002年11月18日)樋口隆康は次のように述べている。「大陸から対馬海峡を渡っての大移動による征服」という大きなイベントにも関わらず、中国・朝鮮・日本の史書に揃って何ら記載がない。それどころか中国の史書では、日本の国家を、紀元前1世紀から7世紀に至るまで一貫して「倭」を用いており、何の変化もない」(『展望アジアの考古学―樋口隆康教授退官記念論集』新潮社)岡内三眞は次のように述べている。「「江上は、騎馬民族がどのようにして日本に侵入し、征服したのか、そしてどのように征服王朝を立てたのかを、考古学の面から何も立証していない」(『古墳時代の研究 13』)「この仮説は、現代では通用しなくなった戦前の喜田貞吉の日鮮両民族同源論を基礎にして、戦前・昭和初期の歴史教育を受けて北京に留学し、軍隊の庇護の下に中国東北地区を闊歩した江上流の資料収集法と旧式研究法に基づいている。無意識に吐露する現代論や人間感にはアジアの人々の心を逆なでするような言葉が含まれる」(『歴史と旅』1994年12月号)所功は次のように述べている。「あくまでもスケールが大きい仮説に過ぎない。不明確な点が多く定説として受け入れることはできない」(『週刊新潮』2009年12月31日号)安本美典は次のように述べている。「ひょうたんナマズの構造(とらえどころのない学説)を持つ説」(『騎馬民族は来なかった!』JICC出版局、1991年)鈴木靖民は次のように述べている。「学問の進歩や苦悩・反省と無縁の騎馬民族説は大いに疑問とせざるをえない」「論証は必ずしも体系的でなく、断片的でおおざっぱ過ぎる」(『歴史と旅』1994年12月号)「本来の騎馬民族説は、古代国家あるいは王権の中に編成される渡来人集団の問題として受け継がれているといえましょうし、素朴な騎馬民族征服説はもう克服されていると思います」(『東アジアの古代文化を考える会』30周年記念シンポジウム)護雅夫は次のように述べている。「この説に対しては、多くの日本史家は批判的であるが、井上光貞のように、これを高く評価する学者もあり、また、水野祐はネオ騎馬民族説と称される説を唱えた。江上の騎馬民族説の細かい点については多くの疑問がある」(『日本大百科全書』)岡田英弘は次のように述べている。「完全なファンタジーであって、なんら史実上の根拠はない。江上波夫が創作した、新しい神話」「騎馬民族説が世間に熱狂的に受け入れられているあいだは、ほかの学者がいくら批判しても、まったく利きめがなかった。(中略)騎馬民族説には何の根拠もないですよ、あれは全くの空想なんですよと言っても、みんな、ふーんと言うだけで、全く耳をかそうとしない。(中略)騎馬民族説が、根拠のないただの空想で、歴史的事実ではないとしても、それが史実ではない、と言うだけではだめなので、もっとよい歴史を提供しなければいけない、といことになる」(『歴史とはなにか』文春新書、2001年)>

出典

  1. ^ 浦和高等学校編 『浦和高等学校一覧 第6年度(自昭和2年至昭和3年)』 浦和高等学校、1927年、233頁。 
  2. ^ 『官報』第1000号、昭和5年5月3日、p.76
  3. ^ “江上波夫と内モンゴルのオロン・スム遺跡調査”. 横浜ユーラシア文化館. http://www.eurasia.city.yokohama.jp/olonsume/excavation.html 2019年9月10日閲覧。 
  4. ^ 東方文化学院一覧』 東方文化学院、1932年、18頁。 
  5. ^ http://www.shiro1000.jp/tau-history/egami/rule83.html
  6. ^ 「江上波夫先生旧蔵ユーラシアコレクション」西秋良宏
  7. ^ a b 2002年11月16日読売新聞
  8. ^ 『騎馬民族国家』江上波夫、中公新書
  9. ^ 2002年11月16日朝日新聞
  10. ^ エンカルタ百科事典
  11. ^ 大和書房『日本古代史大辞典』(2006)
  12. ^ 佐原真との対談「騎馬族は来た?来ない?」ほか
  13. ^ 長七と藤村の浅からぬ因縁”. 紫友同窓会 公式ホームページ. 紫友同窓会. 2018年8月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年8月15日閲覧。





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