江上不二夫とは? わかりやすく解説

えがみ‐ふじお〔‐フジを〕【江上不二夫】

読み方:えがみふじお

[1906〜1982生化学者東京生まれ東大教授核酸構造・機能研究し日本における分子生物学育てた有機化学分野でも業績があり、国際生命の起源学会会長などを務めた。著「生化学」「生命を探る」など。


江上不二夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/26 01:12 UTC 版)

江上 不二夫
(えがみ ふじお)
1953年の江上
生誕 1910年11月21日
日本 東京都
死没 (1982-07-17) 1982年7月17日(71歳没)
居住 日本
フランス
国籍 日本
研究分野 生化学
研究機関 東京帝国大学
名古屋帝国大学
東京大学
埼玉大学
三菱化成生命科学研究所
出身校 東京帝国大学
ストラスブール大学
パリ大学
プロジェクト:人物伝
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江上 不二夫(えがみ ふじお、1910年11月21日 - 1982年7月17日)は日本の生化学者。戦後日本の生化学を牽引した一人。日本学術会議会長、国際生命の起源学会会長等を務めた。若くしてエスペラントを学び、日本エスペラント学会(現、日本エスペラント協会)の理事長および会長も務めた。

経歴

出生から修学期

1910年、東京府で生まれた。東京帝国大学理学部化学科で学び、1933年に卒業。1934年よりフランス政府給費留学生としてストラスブール大学およびパリ大学に留学。

有機化学研究者として

1941年年、東京帝国大学理学部助手に採用された。1943年、名古屋帝国大学理学部化学科助教授に昇格し、第三講座(有機化学)を担当した。同年8月、東京大学に学位論文『スルファターゼ模型に関する研究』を提出して理学博士号を取得[1]。1943年、名古屋帝国大学理学部教授に昇格。

戦後

1958年、母校である東京大学理学部教授となった。1968年、埼玉大学理工学部教授を併任。1968年に東京大学を退任し、埼玉大学理工学部教授として1971年まで勤務。学界では1969年に日本学術会議会長となり、1971年まで務めた。1971年、三菱化成生命科学研究所初代所長に就任。1980年に退任し、同名誉所長となった。1977年からは国際生命の起源学会会長。1982年に死去。

受賞

研究内容・業績

戦後日本の生化学を牽引した[3]

家族・親族

著作

著書
訳書

参考文献

外部リンク

脚注

先代
井本稔
日本化学会会長
1977年
次代
古川淳二



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