ストラスブール大学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/04 08:20 UTC 版)
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| 種別 | 公立研究大学 |
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| 設立年 | 1538年 1631年 |
| 所在地 | グラン・テスト地域圏ストラスブール |
| 教授言語 | フランス語(フランス領時代,現在) ドイツ語(ドイツ領時代) |
| 公式サイト | http://www.unistra.fr/ |
ストラスブール大学(ストラスブールだいがく、Université de Strasbourg、英語: Strasbourg University)は、フランス・ストラスブールの公立研究大学。
19名のノーベル賞受賞者、2名のフィールズ賞受賞者を輩出した欧州屈指の研究大学であり、ヨーロッパ研究大学連盟の最高位に位置する。 ルター派プロテスタント系大学として、17世紀末にアルザス=ロレーヌ地域がフランス領となった後もドイツ語で教育が行われたが、フランス革命によってフランス語教育校へと転換された。普仏戦争で同地域がドイツ領となり再びドイツ語教育校となったが、第一次世界大戦の結果フランス領となってからは現在のフランス語教育校となっている。 世界大学ランキング2013-2015において、3年連続で世界トップ100校のうちに選ばれている。フランス国内では特に法学分野でTOP10にランクインしている。2016年のロイターによる「世界で最も革新的な大学トップ100」では、世界98位にランクインしている。
沿革
1538年帝国自由都市シュトラスブルク(現:ストラスブール)にヨハネス・シュトゥルムによってルター主義・人文主義に根ざした高等教育機関ギムナジウムが創設された。1566年アカデミーに昇格し、哲学部・神学部が設置された。1621年にシュトラスブルク大学(ドイツ語:Universität Straßburg)へ昇格し、法学部・医学部が増設され、1631年に王立大学となった。1681年にルイ14世によってシュトラスブルクが併合された後も存続したが、フランス革命期にフランス王国主導の大学へと変貌を遂げた。1872年普仏戦争とアルザス・ロレーヌ地方のドイツ併合により、フランス語教員が流出し、ドイツ帝国(プロイセン)支配下で、カイザー・ヴィルヘルム大学(Kaiser-Wilhelm‑Universität)となった。大学は多数の新校舎が建設されるなど大幅に拡張され、ドイツ文化とフランス文化の融合を目指した。1918年第一次世界大戦が終結し、アルザス・ロレーヌ地方がフランスに返還され、ストラスブール大学(Université de Strasbourg)となった。その後第二次世界大戦中、フランスが占領され、多くのフランス語教員と設備はクレルモン・フェラン地方に一時的に移管された。1945年にストラスブールへ再配置され、現在のストラスブール大学となった。1971年ストラスブール大学は、ルイ・パスツール大学(ストラスブールI:医学・理工系)、マルク・ブロッホ大学(ストラスブールII:文学・哲学系)、ロベール・シューマン大学(ストラスブールIII:法学・社会科学系) の3つの独立機関に分割された。2009年に再度、高等教育改革に伴い、ストラスブール大学として統合された。
構成
- ストラスブール第一大学 / ルイ・パストゥール大学 Université de Strasbourg I / Université Louis Pasteur (名称はルイ・パストゥールに由来)
- ストラスブール第二大学 / マルク・ブロック大学 Université de Strasbourg II / Université Marc Bloch (名称はマルク・ブロックに由来)
- ストラスブール第三大学 / ロベール・シューマン大学 Université de Strasbourg III / Université Robert Schuman (名称はロベール・シューマンに由来)
- なお、ドイツのデュッセルドルフにあるロベルト・シューマン音楽大学(独名:Robert-Schumann-Hochschule)は、英語ではRobert Schumann Universityとも呼ばれるが、本学とは別の大学であり、その校名もロベール・シューマン(Robert Schuman)ではなく、作曲家のロベルト・シューマン(Robert Schumann)に因むものである。
学部
- 法学・政治学・経営学部
- 経済学部
- 社会科学部
- 地理・地域計画学部
- 歴史学部
- 人文学部
- 近代言語文化学部
- 哲学
- 神学部
- 心理学部
- 医学部
- 歯科外科学部
- 薬学部
- ライフサイエンス学部
- 化学工学部
- 物理工学部
- スポーツ学部
スクール
教職員
- アドルフ・フォン・バイヤー - 1871年から教授
- ヴィルヘルム・レキシス - 1872年から教授
- リヒャルト・フォン・クラフト=エービング - 1872年から1年間教授
- アントン・ド・バリー - 1872年~1888年教授
- アドルフ・クスマウル - 1876年から内科部長
- オスヴァルト・シュミーデベルク - 1872年~1918年薬理学教授
- ジャン=マリー・レーン - 卒業生であり、教授
- ゲオルク・ジンメル - 1914年から教授
- リュシアン・フェーヴル - 1919年から教授
- モーリス・アルブヴァクス - 教授
- ルイ・パスツール
- 浦太郎 - 1979年から客員教授
- 大島俊之 (法学博士) - 日本の教授だが、1995年から1997年まで在外研究
- エミール・フィッシャー
関係者
出身者
- シャルル・ヴルツ - 1839年に卒業
- クラフト夫妻
- ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
- エマニュエル・レヴィナス
- モーリス・ブランショ
- アルブレヒト・コッセル
- オットー・レーヴィ - ノーベル生理学・医学賞受賞者
- ジュール・ホフマン - ノーベル生理学・医学賞受賞者
- ジャン=ピエール・ソヴァージュ - ノーベル化学賞受賞者
- アルベルト・シュヴァイツァー
- ゲオルク・ビュヒナー
- アルベルト・フジモリ - 日系の元ペルー大統領。1964年から物理学を学んだ
- クレメンス・メッテルニヒ
- ジャン=クロード・ユンケル
- エルンスト・レーマク
- アーセン・ベンゲル - サッカー監督
- ルイ・ネール - 1932年にLouise Weiss教授の下、ストラスブール大学で学位をとり、1937年から1945年まで同大学教授。
- カール・シュミット
日本人出身者
日本の学生交流協定校
- 東京大学
- 京都大学
- 東京科学大学
- 大阪大学
- 名古屋大学
- 九州大学
- 北海道大学
- お茶の水女子大学
- 奈良女子大学
- 神戸大学
- 大阪公立大学
- 金沢大学
- 富山大学
- 広島大学
- 岡山大学
- 早稲田大学
- 慶應義塾大学
- 東京理科大学
- 上智大学
- 中央大学
- 学習院大学
- 明治大学
- 法政大学
- 成城大学
- 東洋大学
- 同志社大学
- 立命館大学
- 大阪工業大学
関連
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