大月氏時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/19 03:03 UTC 版)
詳細は「月氏」を参照 紀元前2世紀、東のモンゴル高原において匈奴という遊牧国家が誕生し、それまで強盛だった遊牧国家の月氏が東方から追い出され、西のイシク湖周辺まで逃れた。イシク湖周辺にはもともと遊牧民の塞族が住んでいたが、月氏は塞族の王を駆逐してその地に居座った。しかし、再び匈奴の老上単于の征討を受けたため、月氏はさらに西へ逃れ、最終的に中央アジアのソグディアナに落ち着いた。そこで月氏は大月氏となってアム川の南にある大夏国を征服し、その地を分割して和墨城の休密翕侯(きゅうびつきゅうこう)・雙靡城の雙靡翕侯(そうびきゅうこう)・護澡城の貴霜翕侯(きしょうきゅうこう)・薄茅城の肸頓翕侯(きつとんきゅうこう)・高附城の高附翕侯(こうふきゅうこう)の五翕侯を置いた。 大夏国にはもともと統一した君主がおらず、各城邑に小領主がいるだけで、兵は弱く、戦を恐れていたという。そのため大月氏に侵攻されても抵抗する術がなく敗北し、分割占領された。このとき大夏国に配置された五翕侯が月氏人なのか大夏人なのか土着民なのかは未だ謎となっている。
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