五翕侯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 03:47 UTC 版)
大月氏はソグディアナに西遷後、トハリスタンを征服し、そこに5人の翕侯(きゅうこう:諸侯)を置いた。 五翕侯居城所在『後漢書』『魏書』休密翕侯和墨城 西域都護府から2841里、陽関から7802里の地点 休密翕侯 伽倍国 雙靡翕侯雙靡城 西域都護府から3741里、陽関から7782里の地点 雙靡翕侯 折薛莫孫国 貴霜翕侯護澡城 西域都護府から5940里、陽関から7982里の地点 貴霜翕侯 鉗敦国 肸頓翕侯薄茅城 西域都護府から5962里、陽関から8202里の地点 肸頓翕侯 弗敵沙国 高附翕侯高附城 西域都護府から6041里、陽関から9283里の地点 都密翕侯 閻浮謁国 『漢書』での高附翕侯が『後漢書』では都密翕侯となっている。これについて『後漢書』西域列伝高附国の条に、「『漢書』は(高附を)五翕侯に数えたが、それは事実ではない。(正しくは)安息に属した後、月氏が安息を破るにおよび、高附を得た。」とあり、大月氏のトハリスタン征服直後に高附翕侯を置いたのではなく、クシャン朝時代に丘就卻(クジュラ・カドフィセス)の安息(パルティア)侵攻によって、初めて高附(カーブル)の地を得たというのである。これについての事実は不明だが、『魏書』および『北史』では『漢書』の高附翕侯を踏襲している。
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