ステファヌス2世_(ローマ教皇)とは? わかりやすく解説

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ステファヌス2世 (ローマ教皇)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/18 07:28 UTC 版)

ステファヌス2世(ステファヌス2せい)と呼ばれることがあるローマ教皇は2人存在する。「ステファヌス」の名を持つ教皇の代数に関する歴史的経緯はステファヌス (教皇選出者)#「教皇ステファヌス」とその代数を参照。

  1. ステファヌス2世 (教皇選出:752年)→即位する前に死去したため、現在は正式な教皇に数えられていない。ステファヌス (教皇選出者) を参照。
  2. ステファヌス2世 (在位:752年-757年)→ステファヌス2世 (3世)とも書かれる。

本項では、現在教皇庁および『教皇庁年鑑』が正式に認めている、757年に没した人物について扱う。


ステファヌス2世
第92代ローマ教皇
教皇就任 752年3月26日
教皇離任 757年4月26日
先代 ザカリアス
次代 パウルス1世
個人情報
出生 715年
東ローマ帝国ローマ
死去 757年4月26日
教皇領ローマ
原国籍 イタリア
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ステファヌス2世(Stephanus II、715年 - 757年4月26日)は、第92代ローマ教皇(在位752年757年)。

概要

752年、先に教皇に選出されていたステファヌスの急死の後、教皇に選出された。

ピピンの寄進

ランゴバルド族によりラヴェンナが奪われ、ローマが侵略されると、ステファヌス2世はフランク王国国王ピピン3世に救援を求めた。ピピンは2度の戦いによりランゴバルド族を破り、奪還したラヴェンナをステファヌス2世に献上した。これがいわゆる「ピピンの寄進」であり、後の教皇領のもとになった。




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