ピピンの寄進と教皇領
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 15:37 UTC 版)
旧東ローマ帝国領を狙うローマ教皇ステファヌス2世は、フランク王国の小ピピンに加勢を求め、ロンゴバルド王国を攻撃させた。旧総督領の征服を完了した小ピピンは、征服した土地を教皇へ寄進し、784年にラヴェンナは教皇領となった。その見返りとして、小ピピンの子カール大帝は教皇庁から後押しを受けるようになった。ハドリアヌス1世はカール大帝に対し、ラヴェンナから好みの物をどんなものも与えると認めた。カール大帝は3度の遠征で略奪を行い、ローマ時代の円柱、モザイク、像、その他持っていける品物を多くの数取り除き、彼の首都アーヘンを富ませた。 教皇庁支配のもと、ラヴェンナ大司教はローマ教会からの独立教会の立場を謳歌した。東ローマ支配下で特権を獲得していたのである。リウドルフィング朝の皇帝らの寄進のため、ラヴェンナ大司教は教皇庁の次にイタリアで2番目に裕福であり、時に教皇の世俗的な権威を変えることができた。 1198年、ラヴェンナは反皇帝のロマーニャ同盟を率い、教皇は同盟を従属させた。
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