ピピン3世、カロリング朝の成立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 15:10 UTC 版)
「カロリング朝」の記事における「ピピン3世、カロリング朝の成立」の解説
741年のカール・マルテルの死後、王国の実権は2人の嫡出子カールマンとピピン3世、庶子グリフォによって分割されることとなっていたが、カールマンとピピン3世はグリフォを幽閉して、王国を二分した。743年、2人は空位であった王位にキルデリク3世を推戴した。747年カールマンはモンテ・カッシーノ修道院に引退し、ピピン3世が単独で王国の実権を握った。750年頃にはアキテーヌを除く王国全土がピピンの支配に服していた。
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