ヨハネス13世_(ローマ教皇)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ヨハネス13世_(ローマ教皇)の意味・解説 

ヨハネス13世 (ローマ教皇)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/18 06:45 UTC 版)

ヨハネス13世
第133代 ローマ教皇
教皇就任 965年10月1日
教皇離任 972年9月6日
先代 レオ8世
次代 ベネディクトゥス6世
個人情報
出生 910年
教皇領ローマ
死去 972年9月6日
教皇領ローマ
その他のヨハネス
テンプレートを表示

ヨハネス13世(Ioannes XIII、? - 972年9月6日)は、ローマ教皇(在位:965年10月1日 - 972年9月6日)。出自はローマ貴族のクレシェンツィ(クレッシェンティウス)家。

教皇レオ8世の死(965年の2月 - 4月)ののちに選出される。これは神聖ローマ皇帝オットー1世の同意を得たもので、皇帝・ローマ貴族両者の歩み寄った結果の人選であったが、皇帝側からの支援を受けていることでローマ貴族側からは嫌われていた。そのため965年12月に反乱が起きて一時的に追放され、966年11月までローマに戻れなかった。

帰還後、ヨハネス13世はマクデブルク大司教区の設立を含む教会機構の改革を皇帝とともに行った。さらに、東ローマ帝国東方正教会の影響を排除するために南イタリアでの幾つかの大司教区の設置もした。

967年降誕祭の日、オットー2世を副帝として戴冠した。これは東西両教会の和睦ないし統一を目論んでの行為であったとされる。オットー2世はのちに東ローマ皇女テオファヌとの結婚も行っている。

ヨハネス13世の死については、ヨハネス12世と同じく、密通相手の夫によって殺されたという逸話が残っている。




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ヨハネス13世_(ローマ教皇)」の関連用語

ヨハネス13世_(ローマ教皇)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ヨハネス13世_(ローマ教皇)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのヨハネス13世 (ローマ教皇) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS