ウルバヌス3世_(ローマ教皇)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ウルバヌス3世_(ローマ教皇)の意味・解説 

ウルバヌス3世 (ローマ教皇)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/18 06:05 UTC 版)

ウルバヌス3世
第172代 ローマ教皇
教皇就任 1185年11月25日
教皇離任 1187年10月20日(19日とも)
先代 ルキウス3世
次代 グレゴリウス8世
司教叙階 ミラノ
個人情報
死去 1187年10月20日(19日とも)
その他のウルバヌス
テンプレートを表示

ウルバヌス3世(Urbanus III, ? - 1187年10月20日)は、第172代ローマ教皇(在位:1185年11月25日 - 1187年10月20日)。

生涯

イタリアのミラノ出身。家系は貴族で、1182年枢機卿、1185年にミラノの大司教に叙任された。1185年11月25日に先代のルキウス3世が死去したため、跡を継いだ。12月1日には聖別している。

ウルバヌス3世は1162年神聖ローマ皇帝であるフリードリヒ1世のミラノ攻略・破壊の際に縁者を殺害されていた。このためフリードリヒ1世に相当な敵愾心を抱いており、1186年1月4日に行なわれたハインリヒ6世(フリードリヒ1世の息子)とコスタンツァルッジェーロ2世の娘)の結婚に猛反対した(イタリア南部にフリードリヒの勢力が伸張することを恐れたためとされる)[要出典]。このためフリードリヒ1世は激怒し、報復としてハインリヒに教皇領に攻め込ませて教皇は降伏に追い込まれた。

ウルバヌス3世は報復としてフリードリヒ1世を破門しようとしたが、フェラーラで死去した。

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ウルバヌス3世_(ローマ教皇)」の関連用語

ウルバヌス3世_(ローマ教皇)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ウルバヌス3世_(ローマ教皇)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのウルバヌス3世 (ローマ教皇) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS