ウルバヌス7世 (ローマ教皇)とは? わかりやすく解説

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ウルバヌス7世 (ローマ教皇)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/05 05:54 UTC 版)

ウルバヌス7世
第228代 ローマ教皇
教皇就任 1590年9月15日
教皇離任 1590年9月27日
先代 シクストゥス5世
次代 グレゴリウス14世
個人情報
出生 1521年8月4日
教皇領ローマ
死去 (1590-09-27) 1590年9月27日(69歳没)
教皇領ローマ
その他のウルバヌス
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ウルバヌス7世(Urbanus VII, 1521年8月4日 - 1590年9月27日[1])は、ローマ教皇(在位:1590年9月15日 - 9月27日)。わずか13日の在位期間は、歴代教皇の中で最短である。本名はジョヴァンニ・バッティスタ・カスターニャGiovanni Battista Castagna)。

ジェノヴァ出身の一族の出だったが、本人はローマ生まれである。ボローニャの使節や ロッサーノ司教を経て、スペインでの教皇使節を長く務めた。シクストゥス5世の後継者として、スペイン系枢機卿たちの後押しで1590年9月15日に教皇に選出された。しかし、選出されたコンクラーベの最中に閉鎖空間にてマラリアが蔓延した。彼もまた罹患し、高齢であったことも災いして選出から2週間もたたず病没した。教皇着座式も行われておらず、在位の最短記録となった。

脚注

関連項目

  • ステファヌス (教皇選出者) - 教皇に選出されたが聖別を受ける前に急死したため(当時の規則により)教皇にはなっていない。選出から3日での帰天はウルバヌス7世よりも短い。



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