ニコラウス3世_(ローマ教皇)とは? わかりやすく解説

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ニコラウス3世 (ローマ教皇)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/16 14:01 UTC 版)

ニコラウス3世
第188代 ローマ教皇
教皇就任 1277年11月25日
教皇離任 1280年8月22日
先代 ヨハネス21世
次代 マルティヌス4世
個人情報
出生 1210年から1220年
ローマ
死去 1280年8月22日
ヴィテルボ
その他のニコラウス
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ニコラウス3世(Nicholaus III, 1210年/1220年 - 1280年8月22日)は、ローマ教皇(在位:1277年 - 1280年)。オルシーニ家出身で、本名はジョヴァンニ・ガエターノ・オルシーニ(Giovanni Gaetano Orsini)。

生涯・業績

ヨハネス21世は学者で政治に関心が無かったので、ジョヴァンニは枢機卿に過ぎなかったが、代わりに政務を担当した。1277年にヨハネス21世が事故死、コンクラーヴェは半年かかったが、実績を買われてジョヴァンニが教皇に選出、ニコラウス3世を名乗った。

聖地奪回のための十字軍派遣を目標に、枢機卿時代から世俗君主との和睦を図ったが、ローマ王ルドルフ1世ロマーニャの領有放棄を打診、ニコラウス3世はこれに承諾し、イタリア政策は放棄された。1279年フランシスコ会の司牧活動の特典を擁護する「エクジイト・クィ・セミナート」を発表したが、利潤問題に絡むことが書かれていたため、大論争が起こった。バチカン宮殿の改修も行う一方でネポティズムも行い、3人の親戚を高位聖職者に登用した。

1280年、ヴィテルボにて卒中で死去。




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