インノケンティウス5世_(ローマ教皇)とは? わかりやすく解説

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インノケンティウス5世 (ローマ教皇)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/10 05:39 UTC 版)

インノケンティウス5世
第185代 ローマ教皇
教皇就任 1276年1月21日
教皇離任 1276年6月22日
先代 グレゴリウス10世
次代 ハドリアヌス5世
個人情報
出生 1225年
神聖ローマ帝国 サヴォイア伯国
死去 1276年6月22日
教皇領 ローマ
その他のインノケンティウス
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インノケンティウス5世Innocentius V, 1225年 - 1276年6月22日)は、ローマ教皇(在位:1276年)。本名はピエール・ド・タランテーズ(Pierre de Tarentaise)。ドミニコ会出身で初の教皇である。

生涯

幼年期にドミニコ会に入り、トマス・アクィナスアルベルトゥス・マグヌスボナヴェントゥラのもとで神学を学んだ[1]。説教師として名を馳せ、ローマ教皇庁で順調に出世、グレゴリウス10世没後のコンクラーヴェで教皇に選ばれた。しかし、東ローマ皇帝ミカエル8世パレオロゴスに強圧的な態度を取ったため、東西教会の合同を危うくした。背景にシチリアシャルル・ダンジューの存在があったとされる。

就任からわずか半年後、1276年6月22日にローマで死去した[2]。後任にハドリアヌス5世が選出された[1]

19世紀末、レオ13世により列福された。

出典

  1. ^ a b Hayes, Carlton Joseph Huntley (1911). “Innocent/Innocent V” . In Chisholm, Hugh (ed.). Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 14 (11th ed.). Cambridge University Press. p. 581.
  2. ^ Weber, Nicholas Aloysius (1910). “Pope Bl. Innocent V” . In Herbermann, Charles (ed.). Catholic Encyclopedia. Vol. 8. New York: Robert Appleton Company. p. 18.

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