インノケンティウス5世_(ローマ教皇)とは? わかりやすく解説

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インノケンティウス5世 (ローマ教皇)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/04 01:45 UTC 版)

インノケンティウス5世
第185代 ローマ教皇
教皇就任 1276年1月21日
教皇離任 1276年6月22日
先代 グレゴリウス10世
次代 ハドリアヌス5世
個人情報
出生 1225年
神聖ローマ帝国 サヴォイア伯国
死去 1276年6月22日
教皇領 ローマ
その他のインノケンティウス
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インノケンティウス5世(Innocentius V, 1225年 - 1276年6月22日)は、ローマ教皇(在位:1276年)。本名はピエール・ド・タランテーズ(Pierre de Tarentaise)。ドミニコ会出身で初の教皇である。

生涯

説教師として名を馳せ、ローマ教皇庁で順調に出世、グレゴリウス10世没後のコンクラーヴェで教皇に選ばれた。しかし、東ローマ皇帝ミカエル8世パレオロゴスに強圧的な態度を取ったため、東西教会の合同を危うくした。背景にシチリアシャルル・ダンジューの存在があったとされる。

就任からわずか半年で死去、後任にハドリアヌス5世が選出された。後に列福された。




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