クレメンス10世_(ローマ教皇)とは? わかりやすく解説

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クレメンス10世 (ローマ教皇)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/16 13:33 UTC 版)

クレメンス10世
第239代 ローマ教皇
教皇就任 1670年4月29日
教皇離任 1676年7月22日
先代 クレメンス9世
次代 インノケンティウス11世
個人情報
出生 1590年7月13日
教皇領ローマ
死去 (1676-07-22) 1676年7月22日(86歳没)
教皇領ローマ
その他のクレメンス
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クレメンス10世ラテン語:Clemens X, 1590年7月13日 - 1676年7月22日)は、ローマ教皇(在位:1670年 - 1676年)。本名はエミリオ・アルティエリEmilio Altieri)。

ローマ出身のアルティエリは教皇庁で働き、外交のエキスパートとして各国に教皇使節として赴いた。教皇に選出されたのは79歳という高齢になってからであった。そのため実務はほとんどこなせず、枢機卿パルッツィ・アルベルトーニが代理を務めた。その在位期間中にも、フランスルイ14世ガリカニスムの問題をめぐっての争いが続いた。ポーランドヤン3世に対してオスマン帝国との戦闘のための財政援助をしたことでも知られている。




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