パスカリス2世_(ローマ教皇)とは? わかりやすく解説

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パスカリス2世 (ローマ教皇)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/18 06:32 UTC 版)

パスカリス2世 
第160代ローマ教皇
教皇就任 1099年8月13日
教皇離任 1118年1月21日
先代 ウルバヌス2世
次代 ゲラシウス2世
個人情報
出生 不明
神聖ローマ帝国トスカーナ辺境伯領サンタ・ソフィーア
死去 1118年1月21日
神聖ローマ帝国教皇領ローマ
その他のパスカリス
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パスカリス2世(Paschalis II、? - 1118年1月21日)は、第160代ローマ教皇(在位:1099年 - 1118年)。

1099年、サンタ・マリア・デル・ポポロ教会を建てた。伝説によると、この場所には、ローマ皇帝ネロを埋葬するドミティアヌス家の墓があり、そこに生えていたクルミの木に悪魔が住みついていると人々に恐れられていた。パスカリス2世は、夢に現れた聖母マリアのお告げ通りにクルミの木を切り倒し、ネロの遺体を焼いて遺灰をテヴェレ川に流したところ、悪魔は現れなくなったという。その事を感謝して、パスカリス2世が市民に呼びかけ、聖母マリアに捧げる教会を建てたと言われる。

また、カンタベリー大司教アンセルムス聖職叙任権をめぐって対立していたイングランド国王ヘンリー1世が、聖職叙任権を認めることを求めた際に、これを拒否した。

1110年、聖職叙任権闘争の解決を図り、ローマ遠征を決行した神聖ローマ皇帝ハインリヒ5世に、1111年、皇帝が完全に教会の叙任権を放棄することと、教会が世俗的な土地、財産を返還する合意を結ばされた。

第1回十字軍の後の1113年プロヴァンスのジェラールに対して騎士修道会として正式な承認を与えた。これが中世ヨーロッパの三大騎士修道会の1つの聖ヨハネ騎士団である。




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