ハドリアヌス5世_(ローマ教皇)とは? わかりやすく解説

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ハドリアヌス5世 (ローマ教皇)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/18 05:54 UTC 版)

ハドリアヌス5世
第186代 ローマ教皇
教皇就任 1276年7月11日
教皇離任 1276年8月18日
先代 インノケンティウス5世
次代 ヨハネス21世
個人情報
出生 1210年から1220年
ジェノヴァ共和国 ジェノヴァ
死去 1276年8月18日
教皇領 ヴィテルボ
その他のハドリアヌス (曖昧さ回避)
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ハドリアヌス5世(Hadrianus V, 1210年/1220年 - 1276年8月18日)は、ローマ教皇(在位:1276年)。本名はオットボノ・フィエスキ(Ottobono Fieschi)。インノケンティウス4世の甥に当たる。

生涯・人物

叔父によって助祭枢機卿に任命され、1265年クレメンス4世と交代してイングランドの教皇使節に就任、インノケンティウス5世亡き後の教皇に選出された。グレゴリウス10世が定めたコンクラーヴェの制度を一時破棄したが、ヴィテルボに移ってそこで死去。在位は1か月に過ぎなかった。その後、ヨハネス21世が選出された。

ダンテ・アリギエーリの『神曲』では貪欲のために煉獄で罪を償うハドリアヌス5世が書かれている。




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