ヨハネス10世 (ローマ教皇)とは? わかりやすく解説

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ヨハネス10世 (ローマ教皇)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/18 06:51 UTC 版)

ヨハネス10世
第122代 ローマ教皇
教皇就任 914年3月
教皇離任 928年5月
先代 ランド
次代 レオ6世
個人情報
出生 860年頃
教皇領、トッシニャーノ
死去 928年6月
教皇領ローマ
その他のヨハネス
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ヨハネス10世(Ioannes X、860年頃 - 928年6月)は、ローマ教皇(在位:914年3月 - 928年5月)。教会慣用名はヨハネ[1]

人物略歴

イタリアトッシニャーノ生まれ。教皇登位は914年3月であった[1]クレモナ司教リウトプランドによると、ラヴェンナ大司教であった時より、ローマの有力貴族テオフィラットの妻テオドラと関係があったとされ、その真偽は定かではないが、教皇登位後もテオフィラットの強い支持を受けた。しかし、テオフィラット夫妻が920年代初めに死去すると、やがてイタリア王ウーゴと接近するようになった。しかし、のちのローマ教皇ヨハネス11世の母で、テオドラの娘であったマロツィアトスカーナ辺境伯グイードと結婚しており、マロツィアとグイードはウーゴの勢力の増大を望まなかった。そのため、最終的にヨハネスは、マロツィア夫妻により獄死に追い込まれた[2]。928年6月のことであった。

脚注

  1. ^ a b 小林(1966)巻末「歴代法王表」p.5
  2. ^ 『クロニック世界全史』(1994)p.256

参考文献




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