市のまち
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 07:03 UTC 版)
7世紀初め、ダゴベルト1世が礼拝堂と、475年に建てられたサント=ジュヌヴィエーヴ修道院を再建した。7世紀には市が見られるようになった。中世から続いたレンディ市は、ヨーロッパ中はおろかビザンツからも商人が集まってきた。毎年開かれたレンディ市では、パリ大学の学長がやってきた大きな儀式を執り行った(彼は、全てのコレージュで必要とされた羊皮紙の展示販売のため、この機会を逃さなかった)。 サン=ドニの教会は、金銀宝石に富み、636年2月に献呈が行われた。原型の建物は失われたが、1860年に発掘が行われた。メロヴィング朝期の墓が大聖堂の古い後陣の敷石の下から発見され、ダゴベルト王のものと確認された。 ピピン3世(小ピピン)はサン=ドニ大聖堂においてローマ教皇ステファヌス2世によって戴冠し、769年に修道院内で没した。 845年のヴァイキングによるパリ包囲(fr)では、サン=ドニも攻撃を受けた。 ユーグ・カペーは、かつてサン=ドニ修道院の聖職者だった。 1122年にサン=ドニ修道院院長となったシュジェールはルイ7世の助言者であり、大聖堂の再建を指揮した。彼はルイ7世が聖地へ向かい王国を留守にした際には代わって国を治めた。 ルイ11世は、費用のほぼ全額を負担して、内陣、翼廊、本堂を再建した。
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