ザンジュの乱
ザンジュの乱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/06/04 03:29 UTC 版)
詳細は「ザンジュの乱」を参照 ザンジュの乱とは、現在のイラクのバスラにおいて、869~883年にかけて約15年間にわたり起こった一連の反乱である。 中東に奴隷として連れて行かれたザンジュは、しばしば農業に関連する戸外の重労働に使われた。特にザンジュ奴隷は労働集約的な農園で使われ、現在のイラク南部のメソポタミア川下流域のサトウキビといった農作物の収穫に従事した。これは、通常は奴隷労働力が兵士や家事労働に使われたイスラーム世界においては比較的稀な発展である。厳しい環境が原因で、7世紀から9世紀の間に3回の反乱が起こり、そのうち最大のものは868年から883年にわたって起こった。 他の説として、ザンジュの乱は奴隷の反乱ではなく、反乱のほとんどがイラクの東アフリカ移民に支援されたアラブ人によるものだったという説がある。この説はM. A. Shabanによるもので、以下の様に議論している。 "それは奴隷の反乱ではなかった。それはザンジュつまり黒人の反乱だった。黒人と奴隷を同一視するのは、 19世紀の人種的理論を反映している。これは南北戦争以前のアメリカ南部にしか当てはめられない。" "バスラの塩性湿地での劣悪な労働環境に対しての奴隷の反乱に関する言説は、 すべて想像力の作り事であり資料の裏付けに欠ける。反対に、幾ばくかの塩性湿地の労働者は最初に反乱に対して戦った者であった。 もちろん、反乱に加わった少数の逃亡奴隷もいたが、奴隷の反乱となることはなかった。反乱者の大半はペルシャ湾のアラブ人で、 この地に定住した東アフリカ人の自由人に支援されていた。"
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