外縁地域における新たな宗派の台頭と勢力の分裂
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「ムウタディド」の記事における「外縁地域における新たな宗派の台頭と勢力の分裂」の解説
9世紀の間にシーア派の教義に基づいたさまざまな新しい運動が出現し、既存の政権に対する主な敵対活動の中心がハワーリジュ派からこれらの運動に取って代わった。新しい運動を担った人々はアッバース朝帝国の外縁地域で最初の成功を収めた。タバリスターンでのザイド派による支配権の獲得は後にイエメンでも繰り返された。そしてムウタディドの治世下で新たな危機の芽となっていたカルマト派がアッバース朝統治下の大都市圏の近辺に現れた。874年頃にクーファで成立したイスマーイール派の過激な分派であるカルマト派は、もともとサワード(英語版)(イラク南部)における散発的で小規模な妨害勢力であったが、897年以降、その勢力は驚くべき規模で急速に拡大した。アブー・サイード・アル=ジャンナービー(英語版)の指導の下でカルマト派は899年にバフライン(英語版)(東アラビア)を占領し、翌年にはアル=アッバース・ブン・アムル・アル=ガナウィー(英語版)が率いるカルマト派の軍隊がアッバース朝軍を打ち破った。ケネディの言葉を借りれば、ムウタディドの死後の数年間にカルマト派は「ザンジュの乱以降にアッバース朝が直面した最も危険な敵であることを証明することになった」。同じ頃にクーファのイスマーイール派の教宣員であるアブー・アブドゥッラー・アッ=シーイーがメッカへの巡礼中にベルベル人のクターマ族と接触を持った。アブー・アブドゥッラーの改宗運動はクターマ族の間で急速に進展し、902年にはアッバース朝の宗主権下にあったイフリーキヤのアグラブ朝への攻撃を開始した。アグラブ朝に対する征服活動は909年に完了し、ファーティマ朝が成立するとともにその政権の基盤が確立された。
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