860系
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860形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/06/19 00:55 UTC 版)
「高松琴平電気鉄道860形電車」の記事における「860形」の解説
もと780形で、1941年梅鉢鉄工所製。車体は17m級の半鋼製で、窓配置は「関東形」とも呼ばれるC3/C2-d1D4D4D1dである。窓は2段式でウィンドヘッダーがない。 もともとは、西武鉄道(初代)の両運転台制御電動車モハ200形205・204である。西武農業鉄道(→西武鉄道)発足後、1948年の一斉改番でモハ251形255・254、更に1954年にモハ221形225・224となった。なお、1952年に片運転台化されている。224は1958年に電装解除され、クハ1221形1224になっている。また、側面窓は一段上昇式であったが、後に二段上昇式に改造されている。 1959年に225が山形交通に譲渡され、モハ111となって三山線に投入された。譲渡に際し、西武所沢車両工場で両運転台化と車体更新が実施された。前面は丸妻のまま3枚窓から2枚窓になった。ガラスが上側が奥まって取りつけているのが特徴である。前照灯は埋め込み式になった。また、側面の客用ドアにはステップが取りつけられた。 続いて1960年、1224が再電装化と上記の225に施された改造を受け山形交通に譲渡されモハ112となり、同じく三山線に投入された。111とは前面雨樋の形状が若干異なる。 111・112とも三山線で最大の長さであることから主力として使われたが、1974年11月の同線廃線に伴い、翌1975年に琴電に譲渡された。 琴電では、台車の改軌、架線電圧の対応(600V→1500V)、客用ドアのステップ廃止、111の琴平寄り、112の高松寄りに貫通路の取付等の改造を実施の上、翌1976年に780形780・790として琴平線に投入した。780+790の編成で使用されることが多かった。なお、後に780の琴平寄りも貫通化された。 1983年、1013形導入に伴い志度線・長尾線に転属した。この時、軸重の関係で電装解除が実施されて制御車に改造、860形860・870となる。 両運転台のままであったが主に高松築港・志度側に連結されたため、後に長尾側の運転台は運転機器を撤去されている。1994年6月の志度線分断以降は長尾線所属となり、750形と760+860、750+870の編成を組み使用された。 1998年の600形導入に伴い、2両とも廃車された。 高松琴平電気鉄道 780形780 高松琴平電気鉄道 780形790 非貫通側 高松琴平電気鉄道 780形790 貫通側
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