600形
600形
平成2〜3年度に11両、大牟田線より転籍しました。また、それ以降は、619編成に関しては平成15年、616編成に関しては平成17年に転籍しました。
車体は、片側3扉とし、座席は全てロングシートとしています。 外部色はオキサイドイエロー色の車体に、ボンレッドの帯を配しています。
300・313形と同様に、転籍に合わせ、ワンマン化・台車取替等の工事を行っています。
●編 成 7編成=15両
2両×7編成=14両 | |
Mc | Tc |
601 | 651 |
602 | 652 |
604 | 654 |
606 | 656 |
608 | 659 |
616 | 666 |
619 | 669 |
●諸 元
2両×7編成=14両 | |||
項目 | Mc | Tc | |
車体 | 長さ | 19697mm | |
巾 | 2740mm | ||
高さ | 4265mm | 4105mm | |
扉数(片側) | 3扉 | ||
定員(座席) | 140(56)名 | 140(56)名 | |
制御方式 | 抵抗 | ||
モーター出力 | 120KW×4台 | ||
ブレーキ方式 | 空制・電制 | 空制 | |
製造初年 | 昭和37年 |
600形(601~614、621~630) 700形(701~702、721~722) 800形(801、802、803、804)
長尾線・志度線初の冷房車として、名古屋市営地下鉄東山線の250形・300形を車種に、250形は600形としとして同年11月から営業運転を開始しました。 250形は当初中間車700形として昭和40年から64両が製造され、旧型車と組んで活躍しました。旧形車の廃車に伴い、18両が昭和58年から昭和62年にかけて先頭車化改造を行い250形となりました。前面は非常用貫通扉がオフセットされ、その上部に行き先方向幕が取り付けられました。一方、300形は当初から先頭車として昭和42年から8年間で38両が製造され、中間車800形と編成を組んでいました。新冷房車投入に伴い多くが廃車となり、一部車両はアルゼンチンに譲渡されました。東山線は第3軌条方式の為、パンダグラフ集電に変更するなど数々の大改造が京王重機で行われました。冷房装置については各車両とも3台取り付けられ、前後の2台は小田急電鉄3100形から、中央の一台は京王5000系・3000系からの廃車発生品を流用しています。また、パンダグラフは奇数番号車の連結部寄りに設置されました。台車は種車のものをそのまま使用しているが集電装置の撤去や車体の嵩上げが施されています。700形は地下鉄時代の集電舟取り付け部分が撤去され、床下機器は奇数番号車に自然通風式の抵抗器が新設されたほか、偶数車に取り付けられていた補助電源装置は冷房化されたため、SIV(停止形インバータ)に取り替えられました。600形は運行番号表示機が埋められ、700形は車掌側に行先表示器が取り付けられました。 |
600形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/27 14:08 UTC 版)
川崎市電の独自設計車として1952年2月に新造の601、602号車の2両が、翌年1月および3月に200形203、202、205、211、210号車の台車や主電動機を流用した車体更新改造車の603-607号車が日本鉄道自動車で製造されたもので、幅2440mmと路面電車としては広幅の正面2枚窓の車体と、当時まだ珍しかった東芝製の間接式自動加速制御器を採用したことが特徴であった。全線廃止まで使用されている。
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