300形
300形
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300系
300形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/13 08:56 UTC 版)
「東京モノレール100形電車」の記事における「300形」の解説
6両編成用の流線型の先頭車。全長10.8mの2軸車で、中間に200形を挟んで350形を連結した3両で、300形 + 200形 + 350形または350形 + 200形 + 300形で組成された。100形同様に貫通扉を持つが、流線型のため中間には組み込まれない。前面は100形を流線型にした形状とされた。定員は80名。
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300形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/27 14:08 UTC 版)
東京都電の半鋼製ボギー車で、もと王子電気軌道で1927年製の200形の150形154号車、170形176号車を1947年3月15日に購入して300形301、302号車としたもの。1962年に東横車輛工業で車体更新改造を実施して200形の鋼体化改造車と同形態の車体となって200形203、204号車となっている。
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300形(300, 301)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/26 09:38 UTC 版)
「皇室用客車」の記事における「300形(300, 301)」の解説
一等車で、1号編成用として1931年12月に1両(300)が大宮工場で、2号編成用として1933年3月に1両(301)が大井工場で製造された。全室が一等で、1人掛の回転椅子を備えている。後位にトイレ・洗面所を有する。 1955年(昭和30年)10月、外国人観光団体用に転用され、スイ38形(1, 2)となったが、1956年に1が、1957年に2が近代化改造を施行され、マイ38形(1, 2)となった。その際、冷房装置の搭載と給仕室・荷物保管室の設置が行われ、前位側の出入り台が閉塞された。定員は24人となり、自重は1が45.04t、2が47.07tとなった。特急「つばめ」などに増結車として連結され、1956年の東海道本線全線電化開業時には、スハ44形などとともに淡緑色(淡緑5号)に塗り替えられ、「青大将」の一員となった。 1960年(昭和35年)には二等級制への移行によりマロ39形(1, 2)となったが、1962年(昭和37年)に廃車された。
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300形
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「長崎電気軌道200形電車」の記事における「300形」の解説
1953年(昭和28年)に実施された運賃値上げの見返りとして、同年に9両(301 - 309)、1954年(昭和29年)に1両(310)の計10両が製造された。211形同様全車が日立製作所笠戸工場で製造され、基本的な仕様も同形式に準じているが、台車毎にブレーキシリンダが設けられ、前照灯が製造当初より前面窓下中央に設置されている。客室内はチューブランプの室内灯、ブザー式の車内合図等、従来車と比較して近代化が図られている。なお、本形式では竣工時より手ブレーキが省略されている。 300形のうち309は、後年に扉が金属製のものに交換されている。 310は、アルミサッシの側窓・弾性車輪、運転士用座席の設置など新機軸を取り入れた日立製作所のモデルカーとして製作された。塗装も上半分ライトグレー、下半分グリーンと在来車とは異なる塗り分けであったが、360形入線を期に、長崎電気軌道標準のクリームとグリーンの塗り分けに変更、車輪も同型車と同じものに交換されている。 ワンマン化改造は1973年(昭和48年)より順次施され、1984年(昭和59年)から翌年にかけて近代化改装と冷房装置の設置、行先表示器の自動化・大型化が実施されている。2017年(平成29年)には310号が長崎市の「路面電車魅力向上費補助」による助成を受けリニューアル工事を施された。愛称は「みなと」で、デザインは水戸岡鋭治が担当している。車体塗装は港町をイメージしたメタリックブルーに、長崎名物のひとつである「尾曲りネコ」のイラストが随所に配置されている。車内はつり革や床に木材を多用した内装に、教会を連想させるステンドグラスや船舶用電灯、龍踊りのイラストなど、長崎らしさを感じさせるものになっている。同年4月10日、浦上車庫にて水戸岡鋭治出席のもと出発式が行われ、同日午後より運行を開始した 300形307号(1956年頃)前照灯は新製当初より前面窓下中央に設けられている。 300形301号(冷房設置・近代化改装後) 300形310号「みなと」
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300形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/01 04:26 UTC 版)
「長崎電気軌道200形電車」の記事における「300形」の解説
車両番号製造年月ワンマン化改造暖房設置冷房設置備考301 1953年11月 1973年 1983年 1984年 302 303 1978年 304 1976年 305 1953年12月 1978年 306 1982年 307 1977年 1983年 308 309 1976年 1985年 310 1954年1月 1977年 日立製作所のモデルカーとして竣工。2017年に水戸岡鋭治デザインによる「みなと」としてリニューアル。
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300形 (301 - 317)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 13:55 UTC 版)
「九州電気軌道」の記事における「300形 (301 - 317)」の解説
1942年2月合併の小倉電気軌道より継承した木造二軸車。合併に際し番号に300を加え301 - 317に整理している。旧小倉電気軌道線の北方線で引き続き使用。
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300形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 06:42 UTC 版)
1953年(昭和28年)に落成した両運転台構造車。車両長18mの車体に片側3つの両開き式の客用扉を持ち、ドア間に5枚(内戸袋窓2枚)、車端部に2枚(内戸袋窓1枚)の天地が大きめ(開閉窓で1m)の窓が配される。幅は2,800mmで、銀座線の車両と比べ一回り大きくなっている。 汽車製造、日本車輌製造、近畿車輛、川崎車輛で一挙に製造された。1両あたりの製造価格は、約3,014万円である。
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300形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/03 23:09 UTC 版)
33 - 38・40・43を1938年(昭和13年)に日本車輌東京支店で半鋼製車体に載せ替えた車両で、301 - 308の8両が改造された。前面に貫通扉を設け、側面の窓配置は1D7D4(D=ドア)で、左右非対称の窓配置が特徴の2扉車である。 戦中・戦後は45形と同様の理由により金町線や千葉線で運用され、1955年(昭和30年)に新京成電鉄が全通する際、8両とも同社に譲渡された。 1966年(昭和41年)に大栄車輌で再び車体を載せ替えられた。301 - 306・308は全鋼製車体であったが、307のみ汽車製造製のアルミ合金製車体が試験的に採用された。塗装は鋼製車と同一でユニットサッシを採用していた。他、45形との相違点は運転台が全室式・床の100 mm扛上(床面を上げること)、前照灯が支持取付から埋め込み式など。 45形同様、14 mの小型車であったため、1978年に8000形に置き換えられ廃車となった。全鋼製車体への載せ替えで余剰となった車体の一部が津田沼第一工場の倉庫として使われていたが、工場が廃止となる1982年(昭和57年)までに撤去された。また、一部の台車はくぬぎ山車両基地で仮台車として使用された。
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