100系
100系車両は、昭和46年4月の泉北高速鉄道開業時に導入した車両で、 老朽化のため平成8年度から平成11年度にかけて30両すべてを廃車しました。
開業時から約30年間走り続けたこの車両を原型保存するため、廃車車両のうち1両(588号車) を改造の上、大阪府に寄贈し、現在は大阪府立大型児童館ビッグバンに隣接する冒険遊び場 「ちょっとバン」に展示されています。 この車両は運転席付きで、できるだけ走行当時の原型 をとどめるようにする一方、車内はお子さまの遊び場としてもご利用いただける様々な工夫がなされています。
形式 | 100形 | 500形 | 580形 |
---|---|---|---|
車種 | 制御電動車 Mc | 付随車 T | 制御車 Tc |
車体 | ステンレス製 | ステンレス製 | ステンレス製 |
旅客定員 (座席) | 144人 (座席54人) | 155人 (座席62人) | 144人 (座席54人) |
最大寸法 長さ | 20,725 ミリメートル | 20,725 ミリメートル | 20,725 ミリメートル |
最大寸法 幅 | 2.740 ミリメートル | 2.740 ミリメートル | 2.740 ミリメートル |
最大寸法 高さ | 4,160 ミリメートル | 4,020 ミリメートル | 4,030 ミリメートル |
自重 | 37.0トン | 28.5トン | 29.5トン |
台車 | S形ミンデン・空気バネ台車 | S形ミンデン・空気バネ台車 | S形ミンデン・空気バネ台車 |
主電動機 | 直流直巻式 145kW | - | - |
駆動装置 | 歯車式平行可とう駆動式 | - | - |
制御装置 | 電動カム軸式抵抗制御 | - | - |
ブレーキ 装置 | 電動直通式空気ブレーキ・発電ブレーキ併用 | 電動直通式空気ブレーキ・発電ブレーキ併用 | 電動直通式空気ブレーキ・発電ブレーキ併用 |
製造年度 | 昭和46年~48年度 | 昭和46年~48年度 | 昭和46年~48年度 |
100系
100系
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 16:16 UTC 版)
愛知環状鉄道発足当時から在籍していた車体長19m、片開き3扉セミクロスシートの車両であった。片側が運転台付きで2両組の編成を作る100形・200形と、両側に運転台が付く増結用の300形が存在した。車体と台車を新製の一方、電装品には国鉄101系電車の廃車発生品を流用していた。2000系への代替により、2005年11月13日のさよなら運転で運用を終了した。一部はえちぜん鉄道に譲渡され、同社のMC6001形・MC6101形となっている。
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100系
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 09:23 UTC 版)
東海道新幹線では2003年8月31日まで、山陽新幹線では2012年3月14日まで使用された。 100系は、JR西日本の博多総合車両所に所属する6両編成(K編成)が山陽新幹線限定で使用されていたが、2012年の春に運用から撤退すると報じられた。座席は、グリーン席からひじ掛け内蔵テーブルやフットレストを撤去したものが転用された2列+2列シートである。 列車によっては、5・6号車も指定席となる場合や全車自由席(853号)の運用も存在した。 かつて(定期運行としては2003年8月まで)は16両編成(X・G編成など)が東海道新幹線でも用いられていた。また、2011年3月11日までは4両編成(P編成)が山陽新幹線で運用されていたが、信号システムの関係上新大阪駅まで乗り入れることはなく、最大でも姫路 - 博多間で使用された。P編成は、全車両が「ウエストひかり」普通車用や100系グリーン車などから転用した2列+2列座席であった。 2012年3月14日の「こだま」766号(博多 → 岡山間)の運行をもって新幹線の定期運行から撤退、300系とともに全車引退した。
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100系
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 18:27 UTC 版)
詳細は「新幹線100系電車」を参照 長期にわたり製造され陳腐化した0系の置き換えを目的に、新幹線初のモデルチェンジ車両として1985年(昭和60年)に登場した。国鉄および民営化で誕生したJR東海とJR西日本によって、1,056両が製造された。 営業運転速度はこれまでより10 km/h速い220 km/hにとどまったものの、モーターの出力増強・新しいブレーキの採用により、16両編成のうち4両を付随車(モーターを持たない車両)として製造コスト削減。車内もアコモデーションアップが図られ、座席間隔の拡大により3人掛け座席をはじめて回転可能としたほか、個室も設けられた。また、グリーン車や食堂車などに2階建車両を2両組み込んだことが大きな特徴である。JR西日本では編成中4両を2階建車両とした「グランドひかり」編成(100N系)も製造され、最高速度を230 km/hに向上した。後継車両の投入後は、0系と同様に短編成化され、2階建て車両も外された上で「こだま」のみ運用となり、2012年(平成24年)3月17日のダイヤ改正をもって営業運転を終了した。
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100系
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 03:06 UTC 版)
国鉄末期の1985年に登場した東海道新幹線の第二世代車両。国鉄からの承継車両である食堂車付きのX編成7本112両と、JR東海自社発注分であるカフェテリア付きのG編成50本800両の912両が最大で存在した。
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100系
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 09:28 UTC 版)
1985年運転開始の第二世代車両で、16両編成の中間に2両連結されていた2階建て車両が特徴であった。派生車種として2階建て車両を4両連結した「グランドひかり」も存在した。
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100系
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 13:51 UTC 版)
1985年10月から100系試作車(9000番台)が運行開始し、X(X0・後に量産化改造されX1に変更)編成となった。この時から、編成記号は頭文字とは限らなくなった。1986年6月に100系量産車(4編成)が登場したが、同年11月までは2階建て車なしの12両編成で「こだま」として使用されることになり、編成記号は暫定的にG(General:一般の意)編成(G1 - G4)となった。この編成はわずか5か月程度で2階建車両2両(グリーン車と食堂車)と電動車1ユニットを組込みX編成(X2 - X5)に組成変更され消滅したが、編成記号GはJR化後に再度使用されることになる。 1987年4月に国鉄の分割民営化により、東海道・山陽新幹線はJR東海・JR西日本に引き継がれたが、編成記号もそのまま引き継がれることになった。 1988年3月、JR東海に100系の増備車(通称「100'系」)が登場した。この編成は食堂車を1階がカフェテリアになっている2階建てグリーン車に置き換えたもので、ここに再びG編成と呼称される編成が登場することになった。一方、JR西日本では2階建て車を4両(2階がグリーン席・1階が普通席の車両×3+食堂車)にした100系3000番台(通称「100N系」)「グランドひかり」の運行を開始、こちらはV編成と呼称された。 1996年にはG編成7本(G1 - G7)がJR東海からJR西日本に譲渡された。 2000年には0系Q編成の置き換えのため、100系V編成およびG編成を改造・組成変更の上4両編成にしたP編成が登場、2001年には0系Q編成は消滅した。同時に100系V編成を改造・組成変更の上6両編成にしたK編成も登場している。 2003年9月、東海道新幹線での営業運転終了。JR東海所属編成、16両編成が消滅。 2011年3月のダイヤ改正でP編成は消滅。 2012年3月のダイヤ改正でK編成が消滅。これにより100系の営業運転は終了。 100系 編成記号一覧記号編成番号所属事業者両数最高時速運用状況備考XX1 (←X0)国鉄・JR東海 16 220 (260) 1984年 - 1999年 9000番台。食堂車連結。2階建て2両。100系唯一の小窓車。1986年に量産車化改造を受け、X1に改番 X2 - X7国鉄・JR東海 16 220 1986年 - 1999年 食堂車連結。2階建て2両。 GG1 - G4国鉄 12 220 1986年 暫定「こだま」編成。1986年に中間車4両増結、X2 - X5に編入 G1 - G50JR東海 16 220 1988年 - 2003年 カフェテリア車連結。2階建て2両。 G1 - G7JR西日本 16 220 1996年 - 2003年 JR東海から移籍した編成。 VV1 - V9JR西日本 16 230 (277) 1989年 - 2002年 3000番台。食堂車連結。2階建て4両 PP1 - P12JR西日本 4 220 2000年 - 2011年 V・G編成改造の「こだま」編成、2列+2列シート。2002年に白/青からフレッシュグリーン色に塗色変更 KK51 - K60JR西日本 6 220 2001年 - 2012年 V・G編成改造の「こだま」編成、2列+2列シート。2002年に白/青からフレッシュグリーン色に塗色変更。2010年にK53、K54、K55を白/青へ塗装変更。
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100系
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 10:21 UTC 版)
1985年、長期にわたり製造され陳腐化した0系の置き換えを目的に、新幹線初のモデルチェンジ車両として登場した。国鉄および民営化で誕生したJR東海とJR西日本によって、1,056両が製造された。
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100系
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 06:37 UTC 版)
詳細は「新幹線100系電車」を参照 1985年(昭和60年)長期にわたり製造され陳腐化した0系の置き換えを目的に、新幹線初のモデルチェンジ車両として登場した。国鉄および民営化で誕生したJR東海とJR西日本によって、1992年(平成4年)までに約1,000両が製造された。 営業運転速度はこれまでより10 km/h速い220 km/hにとどまったものの、モーターの出力増強・新しいブレーキの採用により、16両編成のうち4両を車両の床下にモーターを持たない付随車として製造コスト削減。車内もアコモデーションアップが図られ、座席間隔の拡大により3人掛け座席をはじめて回転可能としたほか、個室も設けられた。また、グリーン車や食堂車として2階建車両を2両組み込んだことが大きな特徴であり、JR西日本では編成中4両を2階建車両とし、さらに230 km/hへ高速化を図った「グランドひかり」編成も製造された。一方、JR東海では食堂車ではなく2階部分をグリーン席とし、階下をカフェテリア方式の売店とした車両に設計変更して製造された。 1999年(平成11年)に700系が営業運転を開始した直後から廃車が始まり、東海道新幹線での営業運転終了は2003年(平成15年)。「のぞみ」の大増発に伴い、全列車の最高速度を270 km/hに引き上げたための措置であった。
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100系(1998年 - 2007年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/21 10:05 UTC 版)
「トヨタ・ランドクルーザー」の記事における「100系(1998年 - 2007年)」の解説
80系の後継として誕生した100系は、半世紀にわたり世界の悪路を走ってきたランドクルーザー・ファミリーの中で、極めてタフで実用性の高いクロスカントリー車から、さらにタフネスさを高めつつ高級車の素養をも身につけたプレミアムSUVへと大きな飛躍を遂げたモデルであり、トヨタ自らが「トップ・オブ・SUV」と宣言し、トヨタSUVの最高峰とされた。100系は歴代初のV8ガソリンエンジンが搭載され、先代80系で初採用されたフルタイム4WD方式に電子制御の磨きがかかり、さらに悪路走破性と乗り心地を高次元で融合させたスカイフックTEMSを導入。その上でインテリアに本革のシート&トリムや木目パネルを多用するなど、V8エンジンの静粛性や最新技術と高級装備は発売後から好評で、日本では「オフロード界のセルシオ」と言われることもあった。アメリカ合衆国においては、所有者の世帯収入の中央値が20万ドル(約2,400万円)以上という高級車となった。 シャーシ・ボディ シャーシは伝統のラダーフレームを採用し、先代と同様に強靭なボディと高い走破性能の四輪駆動システムを持つ。 エンジン ワゴンには当時の国産車ではセンチュリーを除き事実上量産車最大排気量となるV型8気筒DOHC32バルブ4,663 ccの2UZ-FEを採用し、バンは水冷直列6気筒OHC24バルブ4,164 ccICターボディーゼル1HD-FTEの2種類を採用。 ドライブトレイン トランスミッションは4速AT(2002年8月のマイナーチェンジで5速化)であるが、バンのVXには5速MTも設定された(2002年8月のマイナーチェンジを期に廃止)。 北米向けはLX470を含めライトデューティー仕様となっており、アイシンAW(現:アイシン)製の乗用車用4A/Tを積んでおり、その他の仕向け地用のアイシン精機(現:アイシン)製のライトトラック用4A/Tを持つものに比べ、重量が40 kgほど軽くなっている。後に5A/Tに変更されている。 バブボルトが従来のM12・6本、PCD 139.7 mmから、M14・5本、PCD 150 mmに変更された。 サスペンション フロントに先代から採用されていたコイルスプリング + 3リンクのリジッドアクスル式サスペンションから、トーションバースプリング + ダブルウィッシュボーン式サスペンションの独立懸架となり、操舵方式もボール循環式からラック&ピニオン式へと変化を遂げ、より操安性と快適性の向上が図られた。これにより、前輪のホイールトラベルが大幅に減少し、オフロード(なかでも極端な不正地)での接地性が下がる懸念があったが、油圧による車高調整機能やトラクションコントロールが設定されており「ランクル」ブランドの名に恥じることのない走破性能を維持していた。 ハイドロニューマチックサスペンションの装備や(Gセレクションには標準装備)、多くの制御が電子化されたことで、クロスカントリーカーとしての信頼性が下がったと見る向きもある。 姿勢や車高の電子・油圧制御を省き、単純なコイルスプリングとショックアブソーバーの組み合わせのみとしたグレードも設定されていた。 80系同様にワゴンとバンの仕様があり、グレードは下からVX、VXリミテッド、VXリミテッド Gセレクション、そして途中追加されたレクサスLX470の国内版のシグナスがある。 日本市場ではレクサス・LXのバッジエンジニアリング車が、「ランドクルーザーシグナス」の名称で発売された。同モデルは4灯ヘッドライト、大径クロームメッキホイールという外観の違いがある。Gセレクション同等の装備に加え、レクサスLX 専用装備となる電動リアクォーターウインドウ、エンジンフードやドア内部の遮音材が追加されている。また、足元灯、ムードランプ(センターコンソール用ダウンライト)、インナードアハンドルランプ、ステップランプなど、照明関係も充実している。 日本国内の一般向けモデルのバックドアは上下開きのみの設定となったが、機動隊の現場指揮官車や、日本道路公団のパトロールカーとして納入されているモデルは、バックドアが左右非対称の観音開きとなっている。 歴史 1998年1月 フルモデルチェンジで100系へ。 1998年10月 V8ガソリン仕様ワゴンのVXリミテッドと同GセレクションにアクティブTRC(トラクションコントロール)とVSC(ビークルスタビリティコントロール)がオプションで新設定された。 1998年12月 上級グレード「ランドクルーザーシグナス」を追加。 1999年8月 シグナスの一部改良。オンロードの安全走行を支援するVSCとオフロードでの走破性を高めるアクティブTRCを採用。エレクトロマルチビジョンをDVDナビ&オーディオとのセットでオプション設定。 2000年5月 一部改良。イモビライザーや防犯性の高いキーシリンダーなどが標準装備となり、セキュリティー性能が向上したほか、全グレードに撥水フロントガラスを新設定。 2001年1月 ランドクルーザー生誕50周年記念の特別仕様車がランドクルーザー100とともにシグナスにも設定。ボディカラーはホワイトパールクリスタルシャイン、アルミホイールはクロームメッキ、ルーフレールはボディ同色とした。 2002年8月 初のマイナーチェンジ。インパネのデザインが全面変更を受け、センター部マルチインフォメーションディスプレイの視認性&操作性が向上したほか、近赤外線による夜間の視界確保を目的としたナイトビューがオプション設定に。トランスミッションが全車とも4速ATからスーパーインテリジェント5速オートマチック(5Super ECT)に変更、さらに操縦性と走行安定性を向上させる可変ギア比ステアリングシステム(VGRS)が新採用となった。エンジンはV8ガソリン、直6ディーゼルターボともに最新の排出ガス規制に適合し燃費と馬力も向上。また大径アルミホイールをVXリミテッド、VXリミテッド Gセレクションに標準装備。グレード構成では、V8ガソリンのワゴンVXは3列シートの8人乗りから2列シートの5人乗りに変更された。直6ディーゼルのバンはVX廃止され、VXリミテッドと同Gセレクションのみのラインナップとなった。加えてバン全車は、同年10月より施行された「自動車から排出される窒素酸化物及び粒子状物質の特定地域における総量の削減等に関する特別措置法(自動車NOx・PM法)」の規制対象車となったため、規制対象地域での購入・登録は不可能となった。 シグナスには上記に加え、オーディオでは米マークレビンソン社のプレミアムサウンドシステム、セキュリティ機能ではエンジンイモビライザーシステムに加えオートアラーム機能も備えた。外観ではフロントグリルのデザインを小変更。 2003年8月 一部改良。ナビゲーションシステムが高性能化。渋滞情報を受けるVICSが性能アップし、G-BOOKなどのトヨタ最新機能が盛り込まれ、バックガイドモニターも同時に採用。安全性能ではアクティブTRCとVSCの両システムがワゴンだけでなくバンにも拡大設定された。 2005年4月 二度目のマイナーチェンジ。エクステリアではヘッドランプに対向車への眩惑を軽減するマニュアル式光軸調整用レベリング機構を備えたほか、リアコンビネーションランプのデザイン変更とともにLED化、フロントグリル、アルミホイールのデザインを変更して高級感がさらに高められた。また、背面スペアタイヤ仕様が廃止された。V8ガソリンエンジンはさらに改良されて燃費がわずかに向上し、平成22年度燃費基準に適合した。特別仕様車として、VXリミテッド・ツーリングエディション、VXリミテッド Gセレクション・ツーリングエディション、またシグナスにはストーン色内装を採用した「インテリアセレクション」を設定。 2006年3月 ランドクルーザー100とともに特別仕様車の“60thスペシャルエディション”を設定。専用黒本木目のステアリングホイールとシフトノブ、専用黒木目調パネル(センタークラスター、フロントコンソール、パワーウインドゥスイッチベース)、G-BOOK対応DVDナビゲーション付EMVを装備。 2007年7月 シグナスの生産終了。在庫対応分のみの販売となる。 2007年8月 平成17年排出ガス規制に適合しないことを理由に、日本国内向けの残りの全グレードの生産を終了。在庫対応分のみの販売となる。 2007年9月 在庫販売を終了し, 後継の200系へとバトンタッチ。 月間販売台数は常に2,000台以上を維持しており、ライバル車の日産サファリ、三菱パジェロを大きく突き放し好調な売り上げを維持していた。また、高価格と人気を反映して、日本ではランドクルーザー100だけを狙った窃盗団による窃盗の被害が90年代後半~2000年代中盤にかけて多発した。 前期型リヤ(1998年1月-2002年8月) 後期型リヤ(2005年4月-2007年9月)
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