ダイハツ・シャレードとは? わかりやすく解説

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ダイハツシャレード

車両大型化大排気量化が進む中で、自動車の必要機能原点から 考え直しコンパクト化低燃費省資源ならびに快適性徹底的に追求した。 特に、エンジンにおいては3気筒1000cc、バランサ付き燃焼室乱流生成 ポット採用など数多く新技術盛り込まれている。特に、バランサについては クランク軸バランスウエイト所定質量設定して意図的にクランク軸偶力発生させ、この偶力打消す機能バランスシャフト設け3気筒特有の 振動低減し静粛エンジンとして注目された。
 また、車両投影面積が約5平方メートルで、小回りの効く使い勝手良さ象徴する意味で「5平米カー」と称され多くユーザー受け入れられた。

保管場所:ダイハツ工業株式会社 (〒563-8651 大阪府池田市ダイハツ町1番1号)

製作(製造)年:1977

製作者(社):ダイハツ工業株式会社

資料種類:量産品

現状:展示(静態)・公開

車名 / 製作
車名:ダイハツ シャレード

モデル名:XTE

会社名:ダイハツ工業株式会社

製作年:1977

設計者:ダイハツ工業

車種用途:乗用車

実車所在/模型:ダイハツ工業 広報部

型式 / 重量
スタイル:小型四輪乗用車

ドア:5ドア

乗員:5名

車両重量:660

車体 / 寸法
構造:ハッチバックセダン

バンパー:あり

ステップ:なし

全長:3460

全幅:1540

全高:1360

タイヤサイズ:155 SR 12

車体 / 車軸 /
操縦 / 付属
前軸:ストラット式

後軸:アクスル ビーム

軸距:2300

トレッド×後トレッド:1300×1280

ステアリング:ラックピニオン

ダンパー:あり

スタビライザー:あり

機関 / 寸法 /
出力
冷却/気筒配列:水冷/3気筒直列

機構:頭上カム式ベルト駆動

内程×行程:76×73

排気量:993

点火:イグニッション式バッテッリ点火

最高出力/回転数:55/5500

排気浄化:触媒付き希薄燃焼方式

燃料タンク容量:34リッター

ハイブリッド
ハイブリッドシステム形式:なし

駆動系
変速機:常時噛合歯車

駆動方式:FF

性能
モード燃費:-

参考文献:昭和52年10月4日 ダイハツ自動車販売株式会社発行シャレード新型解説書

その他事項:前照灯:2;ワイパー:あり;ワッシャー:あり;足ブレーキ:ディスク リーディング トレーリング;手ブレーキ:レバー式;比出力PS/l:55;最終減速:4.588;最高速度:(Km/h) 135;燃費率:210g/PS・h(3200rpm);


ダイハツ・シャレード

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/20 07:31 UTC 版)

ダイハツ・シャレード
4代目
概要
製造国
販売期間 1977年 - 2013年
ボディ
ボディタイプ 3/5ドアハッチバック
駆動方式 前輪駆動/四輪駆動
系譜
先代 ダイハツ・コンソルテ
後継 ダイハツ・ストーリア
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シャレードCharade)は、かつてダイハツ工業が生産・販売していた小型乗用車コンパクトカー)である。

トヨタ自動車との提携以来初となる自社設計の小型乗用車で、同社初の前輪駆動車でもある。搭載されるエンジンが1.0 Lであったことから、同クラスの車種を示す「リッターカー」という言葉が生まれるきっかけともなった。

シャレードのもう一つの特徴として、イタリアの自動車メーカーのデ・トマソと積極的にコラボレーションを行っていることが挙げられる。初代や3代目はあくまでコンセプトカー止まりであったものの、2代目と4代目では市販モデルにも手が加えられた。当時の日本車は海外メーカーと提携した特別仕様車を多数発売していたが、世代をまたいで同一ブランドの特別仕様車が発売された例は極めて稀である。

5代目以降はミラトヨタ・ヴィッツのリバッジ車となり、ヨーロッパなどの市場で販売された。

初代 G10系(1977年 - 1983年)

ダイハツ・シャレード(初代)
G10系
前期型 5ドア
中期型 クーペ(3ドア)
後期型 5ドア
概要
別名 ダイハツ・ゼブラ
製造国 日本大阪府池田市
ギリシャ
インドネシア
販売期間 1977年11月 - 1983年
ボディ
乗車定員 5名
ボディタイプ 3/5ドアハッチバック
駆動方式 前輪駆動
パワートレイン
エンジン
  • 直列3気筒 SOHC
  • *CB型 1.0L
  • *CB-10型 1.0L
  • *CB-11型 1.0L
  • *CB-31型 1.0L
  • *CB-32型 1.0L
変速機 4速MT/5速MT/2速AT
サスペンション
マクファーソンストラット式
5リンク式
車両寸法
ホイールベース 2,300 mm
全長 3,460 mm
全幅 1,510 mm
全高 1,360 mm
車両重量 630 - 660 kg
その他
販売終了前月までの新車登録台数の累計 25万6398台[1]
系譜
先代 ダイハツ・コンソルテ
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1977年11月発表。先代にあたるコンソルテは、実質的には1969年に登場したトヨタ・パブリカOEM車であり、モデルチェンジされることもなく陳腐化が目立っていた。当時、ヨーロッパ諸国では前輪駆動の小型車が普及しつつあり、日本の自動車メーカーでもそれに追従する流れが起こっていた。そのような中で、初代シャレードは「5平米カー」というキャッチコピーで、従来の日本における大衆車とは異なる世界観をもって登場した。CMキャラクターはセーラ・ロウエル

フロントに横置き搭載された直列3気筒のCB型1.0Lエンジンと、やや背の高い2ボックスハッチバックの車体の組み合わせは小ぶりながら優れたパッケージングで、広い室内空間と合理的な駆動レイアウトで、新たな小型車の方向性を打ち出した。

当時類例のなかった4ストロークの直列3気筒エンジンは、自動車黎明期の20世紀初頭に若干の採用例があったものの振動特性で不利なため、振動を度外視できる農業機械および産業用向けディーゼルエンジン等を除けば、一般に長く廃れていたエンジン形式である。ダイハツでは1L級のコンパクトなエンジンに適切な気筒配置を検討した結果、当時定石の直列4気筒より短く仕上がり、シリンダー1気筒当たりの容量もガソリンエンジンとして特に条件の良い300cc級となる4ストローク直列3気筒が最適との結論に至った。直列3気筒独特の偶力振動抑制対策については、クランクシャフトと並行配置で駆動されるバランサーシャフトを付加することでクリアしている。

長らく忘れ去られていた4ストローク直列3気筒は、本車が採用したことで復権を果たした。横置きエンジンの前輪駆動車に搭載しやすいその特性から、1980年代以降は直列2気筒に取って代わる形で軽自動車を皮切りに、1L以下のクラスのベーシックカー用エンジンとして日欧で広く用いられるようになった。もっとも、その過程ではスズキでの採用以降、コストダウンと駆動損失低減の目的で振動増大を許容したバランサーシャフト省略が主流となり、後年にはダイハツも追従するようになる。

また、時を同じくして起こった第二次オイルショックによる省エネルギーブームも追い風となり、軽自動車と大差のない車両価格と、その価値以上の動力および燃費性能を伴っていたことから、シャレードの先見性は市場にも支持される結果となった。シャレードはダイハツ始まって以来の大きな成功を収め、モーターファン誌主催の1978年カー・オブ・ザ・イヤーを受賞した。

1980年のマイナーチェンジでは、ヘッドライトが丸型2灯から角型2灯(いずれもSAE規格型)に変更され、装備の充実やエンジン出力の向上も図られた。

シャレード・デトマソ・ターボ

1981年10月の第24回東京モーターショーにおいて、3ドアクーペXTE(欧州仕様車・右ハンドル)をベースとしたシャレード・デトマソ・ターボが参考出品された。当時ダイハツとエンジン供給契約を結んだデ・トマソによりチューンされたモデルであり、変更点は以下の通り。

  • 外装
  • 内装
    • 赤/黒基調のサイド部分本皮シート
    • 4本スポーク革巻ステアリング
    • オリジナルシフトノブ
  • エンジン
    • カムカバーに赤の結晶塗装

以上のようにベースモデルから大きく印象を変えており、メディア向けの試乗会も実施され評判は上々であったが、量産には至らなかった。もっともダイハツ側もこの特別仕様を諦めたわけではなく、2代目と4代目で市販にこぎ着けている(3代目も市販こそないが参考出品車を製作)。

歴史

  • 1977年11月 - 発売。
  • 1978年9月、クーペを追加。実質的には3ドアハッチバックである。C110型スカイラインなどを想起させるウインドウグラフィックスと、「マリンウインドウ」と称されたリアクオーターピラーの丸窓が特徴。
  • 1979年9月 - マイナーチェンジでダイハツの「Dマーク」がグリル中央に移動、グリルデザインを縦線基調に。セダンXTE と、クーペ全車のエンジンをCB-31型(60PS / 5,600rpm)に変更。
  • 1980年10月 - マイナーチェンジ。ヘッドランプを角型2灯式に、リアコンビネーションランプを上下横一線式にそれぞれ変更。2速ATのCB-32型エンジン搭載車を追加、セダンにAT専用女性仕様のXGL、リモコンミラーを装備するラグジュアリグレードXGC、クーペにXGLを追加。
  • 1981年9月 - マイナーチェンジ。全車で内外装を改良。セダンにサンルーフ&ツートンカラーのスポーティモデルXTS、XOに代わる最廉価グレードXDを追加。XO、クーペXGLを廃止。
  • 1982年4月 - サファリラリー参戦。3台が投入され全車完走。クラス優勝を果たす。

2代目 G11系(1983年 - 1987年)

ダイハツ・シャレード(2代目)
G11系
5ドア(前期型・欧州仕様)
5ドア(後期型)
概要
別名 台湾 : ダイハツ・スカイウィング
製造国 日本大阪府池田市
中国
南アフリカ共和国
台湾
販売期間 1983年1月 - 1987年
ボディ
乗車定員 5名
ボディタイプ 3/5ドアハッチバック
駆動方式 前輪駆動
パワートレイン
エンジン
  • 直列3気筒 SOHC
  • *CB-12型 1.0L
  • *CB-22型 1.0L
  • *CB-34型 1.0L
  • *CB-35型 1.0L
  • *CB-50型 ターボ 1.0L
  • 直列3気筒 SOHC ディーゼル
  • *CL-10型 1.0L
  • *CL-50型 ターボ 1.0L
  • *CE型 ターボ 1.0L(926ターボのみ)
変速機 5速MT/2速AT/3速AT
サスペンション
マクファーソンストラット式
5リンク式
車両寸法
ホイールベース 2,320 mm
全長 3,550 - 3,600 mm
全幅 1,550 - 1,575 mm
全高 1,390 - 1,435 mm
その他
販売終了前月までの新車登録台数の累計 23万2624台[2]
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1983年1月発売。初代の設計思想を発展させ、より全高を高めて室内空間の捻出が可能なパッケージングとなった。

乗用車用量産エンジンとしては当時世界最小の排気量を実現したディーゼルエンジン(渦流式燃焼室、水冷、直列3気筒、SOHCの CL型エンジン)を搭載したモデルや、「猫科のターボ」のキャッチフレーズで発売されたターボモデル、また同じターボエンジンながら、イタリアのデ・トマソが監修したシャレード・デトマソ・ターボ、さらには1.0Lクラス唯一のディーゼルターボも用意された。

CL型ディーゼルエンジンは、従来からの直列3気筒ガソリンエンジンをベースに開発されたものであったが、偶力振動(俗にいう味噌擂り運動)に加えて独特のディーゼルノックが避けられず、バランサーシャフトがあってもなお振動と騒音は大きかった。「Rock'n(ロックン)ディーゼル」なる当時のディーゼルモデルのキャッチコピーは、この振動と騒音を逆手に取ったものであるが、その若年層向きなフレーズとは裏腹に、実際には中低速域でのトルクの充実感と経済性(=低燃費)に優れた実用型エンジンであった。ディーゼルターボモデルは出力面で自然吸気ガソリンエンジンモデルに比肩する50PS超の性能を達成した。

このシャレードの軽快な走りを支えた直列3気筒エンジンは、当時デ・トマソ傘下にあったイノチェンティ・ミニのエンジンとしても供給された。後に660ccエンジンとの二本建てで供給される。この縁でシャレードにデ・トマソ仕様が生まれたが、それとは別に1983年、ダイハツ製エンジンを搭載したイノチェンティ車をダイハツ傘下の商社であるダイハンが日本に輸入し、販売したことがある。しかし販売は振るわず、販売はごく短い期間で終了した。

また、歴代モデルとしては唯一、3ドアバンの設定があり、ガソリンとディーゼル両方のエンジンが用意された。また、このモデルより全車にフロントディスクブレーキが標準で装備された。

926ターボ(G26)

1984年10月、「926ターボ」というポルシェレーシングカーを連想させるネーミングのシャレードが発表された。グループBホモロゲーションに合致したラリー用のベースモデルで、1.0Lのガソリンターボでサファリラリー1000湖ラリーに3台体制でスポット参戦[3]するも、当時1.4倍であったターボ係数により、本来の排気量より2ランクも上の1.3L以上 - 1.6L以下クラスの扱いとなったことを受け[4]、1.3L以下クラスの範囲内となるよう993ccの排気量を926ccまで下げ、チューニングを見直し最低生産台数をクリアする200台が生産された。CE型と呼ばれるエンジンの出力は、工場出荷時で76PS/5,500rpmであった。926は排気量に由来する名称だが、前述のポルシェのネーミングに引っ掛けた洒落でもあった。

デ・トマソ926R

926ターボのパワートレインをDOHC12バルブ化し、ミッドシップ横置き搭載したコンセプトカーである。後輪駆動への変更と、ワイドトレッドとなった足回りは大型のブリスターフェンダーで覆われ、多くのエアインテークやイタリア尽くめの装備品とも相まって、ラテンの香りが強く漂うモデルであった。1985年の第26回東京モーターショーに、美しいイタリアの風景の中を実際に駆け抜ける映像とともに出品されるやいなや、市販化とラリーでの活躍を望む声は一気に高まった。しかし、メディア向けの試乗会でも評判は上々であったにもかかわらず、926Rが市販化に移されることはなかった。

歴史

  • 1983年9月 - ガソリンターボ追加。
  • 1984年1月 - デトマソ・ターボ追加。
    • 9月 - ディーゼルターボ追加。キャッチコピーは「アンチなターボ。」。
  • 1985年2月 - マイナーチェンジ。
  • 1986年
    • 1月 - AT車を2速→3速AT化してガソリンターボ車にもAT車追加。これに伴い特別限定車「ラブリー」、および「ブランシュ」(いずれも全国600台限定)発売。
    • 5月 - サファリラリー優勝を記念した特別限定車「ル・ブラン」発売。

車両型式

  • G11:CB型エンジン搭載車、乗用モデル
  • G11V:CB型エンジン搭載車、商用モデル
  • G26:CE型エンジン搭載車(926ターボ)
  • G30:CL型エンジン搭載車、乗用モデル
  • G30V:CL型エンジン搭載車、商用モデル

3代目 G100系(1987年 - 1993年)

ダイハツ・シャレード(3代目)
G100系
5ドアハッチバック フロント(欧州仕様)
3ドアハッチバック リア(欧州仕様)
概要
別名 インドネシア : ダイハツ・ウィナー
製造国 日本大阪府池田市
インドネシア
中国大陸
台湾
販売期間 1987年1月 - 1993年1月
デザイン 青木宏
上田英之
ボディ
乗車定員 5名
ボディタイプ 3/5ドアハッチバック
駆動方式 前輪駆動
パワートレイン
エンジン
  • 直列3気筒 SOHC
  • *CB-36型 1.0L
  • *CB-37型 1.0L
  • *CB-51型 1.0L
  • 直列3気筒 DOHC
  • *CB-70型 ターボ 1.0L
  • 直列3気筒 SOHC ディーゼル
  • *CL-51型 ターボ 1.0L
  • *CL-70型 ターボ 1.0L
  • 直列4気筒 SOHC
  • *HC-E型 1.3L
  • *HC-F型 1.3L
変速機 4速MT/5速MT/3速AT
サスペンション
マクファーソンストラット式
マクファーソンストラット式(1.3L)
5リンク式(1.0L)
車両寸法
ホイールベース 2,340 mm
全長 3,610 - 3,995 mm
全幅 1,615 mm
全高 1,385 - 1,400 mm
その他
販売終了前月までの新車登録台数の累計 約21万台[5]
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1987年1月、フルモデルチェンジが行われた。このモデルの開発にあたって、ダイハツは従来の地方に加えて都市部の若年層の取り込みを図るため、それまでの理詰めのパッケージングと実用的なスタイルを捨て、一転してラテン風の洒落たスタイリングを採用した。ルーフ後半の下がったその独特のスタイルは、当時のコンパクトカーでは類をみない斬新なものとして一部では評価された。

初期のキャッチコピーは「さ、ツーサム」であるが、これは市場調査の結果、後部座席の利用率が予想以上に低かったことから(2人乗りの)クーペ感覚で使うことを志向し、リアシートは居住性よりも荷室としての使いやすさに重点が置かれて開発されたためである。

ボディは当初、3ドアと5ドアでのスタートとなり、先代に設定されていた商用モデルは廃止された。

また後に派生車として、リアのオーバーハングを伸ばしトランクを設けた、4ドアのソシアルも追加され、シャルマン以来の久々の4ドアセダンモデルとなった。

搭載エンジンは、初代以来の伝統の1.0L 3気筒CB型のSOHC6バルブ・シングルキャブレターとSOHC6バルブターボ(ただし燃料供給はキャブレターを用いていた)、DOHC12バルブインタークーラーターボ(もちろん1Lあたり100PS以上に達していた)、NA及びターボディーゼルでスタートしたが、後に新開発のHC型1.3L4気筒SOHC16バルブEFIが追加され、また同時期にフルタイム4WD車も追加された。またこの3代目より、ホイールP.C.D.がそれまでの110.0mmから全て100.0mmに変更されている。

このモデルはアメリカ合衆国にも輸出されており、1.0L 3気筒と1.3L 4気筒の2種類、ボディーは3ドアと4ドアセダンの2種類で、3ドアは1.0Lとマニュアルトランスミッションのみの設定のバジェットカーだった。1988年から1992年まで販売されていたが、もともとアメリカでのダイハツの知名度の低さに加え、快適装備も少なかったため販売台数は振るわず、フェローザ(日本名:ロッキー)の予想外の不振も響き、1992年に撤退している。

モータースポーツにも積極的に参加しており、特筆すべき活躍としては、1993年のWRC(世界ラリー選手権)サファリ・ラリーでは、1〜4位を独占したセリカ以外の2.0Lのターボ4WDカーを打ち破り、総合5〜7位を占めている。

歴史

  • 1988年2月 - 1.3L及び4WDの追加。これに伴い1.0LガソリンSOHCターボは廃止。1.0L DOHCターボ車のグレード名をGTtiからGT-XXに変更、さらにリヤシートの形状を変更して乗車定員を4人から5人へ変更(ツーサム・コンセプトの廃止)。
  • 1989年2月 - マイナーチェンジ。バンパー大型化(除くGT-XX)。
  • 1991年1月 - マイナーチェンジ。1.3Lは全車EFIに換装。ディーゼルの自然吸気エンジン搭載車は、ビジネスモデルのみの設定となった。
  • 1992年12月[6] - ハッチバック生産終了。在庫対応分のみの販売となる。
  • 1993年1月 - ハッチバックが4代目に移行するため販売終了。ソシアルは継続。
  • 1994年4月[7] - ソシアルの生産終了。在庫対応分のみの販売となる。
  • 1994年5月 - ソシアルが4代目に移行して販売終了。これですべての3代目モデルが生産・販売終了となった。

車両型式

  • G100S:CBエンジン搭載車
  • G101S:CLエンジン搭載車
  • G102S:HCエンジン搭載車、FF車
  • G112S:HCエンジン搭載車、4WD車


海外仕様

中華人民共和国台湾などの海外合弁企業で、3代目シャレードG100系の改良版が2010年代前半頃まで生産されていた。特に中国天津市にある天津汽車(現社名:天津一汽夏利汽車)では、G100系の生産販売権を取得してシァリィ(夏利)の名称で2014年12月まで生産していたが、最終モデルはG100系シャレードとはエクステリアデザインが大きく異なっており、サイドドアと5ドアハッチバックのリアに面影を残す程度である。中国では大きく普及し、小型タクシーの別名を「夏利」と呼ぶほど頻繁に走っている。これが縁となり、ダイハツの親会社のトヨタ自動車は天津汽車との合弁を足がかりに中国進出を果たした。 また台湾では2代目ベースのセダンモデルが「スカイウィング」、3代目ベースのセダンモデルがシャレードが付かない「ソシアル」としてそれぞれ販売された。

4代目 G200系(1993年 - 2000年)

ダイハツ・シャレード(4代目)
G200系
デ・トマソ(前期型・日本仕様)
ポゼ 4WD(後期型・日本仕様)
概要
別名 ダイハツ・ヴァレラ
マレーシア : ダイハツ・アセンド
製造国 ダイハツ工業
販売期間 1993年1月 - 2000年5月
ボディ
ボディタイプ 3/5ドアハッチバック
駆動方式 前輪駆動/四輪駆動
パワートレイン
エンジン
  • 直列4気筒 SOHC
  • *HC-E型 1.3L
  • *HE-EG型 1.5L
  • HD-EG型 1.6L(デ・トマソのみ)
変速機 5速MT/4速AT
サスペンション
マクファーソンストラット式
マクファーソンストラット式
車両寸法
ホイールベース 2,395 mm
全長 3,750 - 4,100 mm
全幅 1,620 mm
全高 1,385 - 1,410 mm
車両重量 820 - 940 kg
その他
販売期間中の新車登録台数の累計 7万1580台[8]
系譜
後継
ハッチバック:
ダイハツ・ストーリア
セダン:
(なし)
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1993年1月発売。車体が大型化して1.0Lエンジン搭載モデルが廃止され、「リッターカー」の範疇からは外れた。発売こそ遅れたものの、バブル景気下で開発が進められたこともあってインテリアの質感は高く、装備品とメカニズムは充実していた。1.3L自然吸気車では珍しく電子制御の4速AT「ESAT」を全車に採用(親会社トヨタのスターレットの1.3L自然吸気車は4WDおよびディーゼル車を除くソレイユ系グレードのFF車に限り、油圧制御の3速ATを採用)。

発売当初は3ドアと5ドアのハッチバック、エンジンもHC型1.3L・91PSのみであったが、同年8月にHE型1.5L・97PSの1500とこのエンジンを搭載したフルタイム4WD車を追加。同時に1987年のフルモデルチェンジ以来途絶えていたデ・トマソがHD型1.6L・125PSのSOHCを搭載して復活した。

1994年5月には4ドアセダンのソシアルもフルモデルチェンジ。1996年8月にはソシアルをベースとした派生車種として、トールワゴンパイザーが登場している。

1995年11月のマイナーチェンジでフロントフェイスが変更され、若干全長が伸びている(デ・トマソを除く)。

1998年2月に事実上の後継車となるストーリアが登場。その後も継続生産されたものの、1999年9月[9]に生産終了して在庫分のみの対応となり、2000年5月には日本国内向けが販売終了となった。

ダイハツで最後のリアディスクブレーキ搭載車(OEMを除く)であり、ソシアルはダイハツにおける最後の自社開発によるノッチバックセダンでもあった。

ハッチバックの事実上の後継車はストーリアとYRVであるが、ソシアルに後継はない。同時期に上級のアプローズも廃止されたため、ダイハツの日本国内のラインナップから自社開発のセダンが消滅し、トヨタ・カムリOEMであるアルティスのみとなった(2023年販売終了)。

歴史

  • 1993年8月 - デ・トマソ、1.5L及び4WD追加。
  • 1994年5月 - ソシアル追加。
  • 1995年11月 - マイナーチェンジ。デ・トマソを除いてフロント部変更。
  • 1996年10月 - 一部改良。
  • 1998年7月 - デ・トマソ販売終了。これによりダイハツ車の乗用車でのリアディスクブレーキ搭載車は消滅(トヨタからのOEMを除く)。
  • 1999年9月 - ハッチバック、ソシアル共に生産終了。以後は在庫のみの対応となる。
  • 2000年5月 - ハッチバック、ソシアル共に販売終了。これにより日本国内向けとしてのシャレードは23年の歴史に幕を下ろした。

車両型式

  • G200S:HCエンジン搭載車
  • G201S:HDエンジン搭載車(デ・トマソ)
  • G203S:HEエンジン搭載車、FF車
  • G213S:HEエンジン搭載車、4WD車

5代目 L251型(2003年 - 2007年)

2003年ダイハツ・ミラ(6代目)をベースに、イギリスなどの一部ヨーロッパ諸国(それ以外の国ではクオーレもしくはプロドゥア・ビバ)、オーストラリア南アフリカなどでは、シャレードの名で販売された。

6代目(2007年 - 2011年)

2007年ダイハツ・ミラ(7代目)をベースに、イギリスなどの一部ヨーロッパ諸国(それ以外の国ではクオーレ)、南アフリカなどでは、シャレードの名で販売された。

7代目 NSP90型(2011年 - 2013年)

2011年トヨタ・ヤリス/ヴィッツ(両者共に2代目)をベースに、ダイハツでは、イギリスなどの一部ヨーロッパ諸国ではシャレードの名で販売された。ヨーロッパからダイハツブランドでの販売を撤退する2013年まで販売された。

車名の由来

英語で「謎解き」の意味。

脚注

注釈

出典

  1. ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第29号3ページより。
  2. ^ デアゴスティーニジャパン 週刊日本の名車第27号23ページより。
  3. ^ rallybase.nl 32nd Marlboro Safari Rally リザルト2012年9月1日閲覧。
  4. ^ そのためグループB承認されたのは結果的には1985年の一度のみ。1986年はシーズン半ばグループB自体凍結される。rallybase.nl Ashok Pattniリザルトrallybase.nl Takeshi Hirabayashiリザルトrallybase.nl Manjit Gharialリザルトrallybase.nl Hussein Mawjiリザルトrallybase.nl イアン・ダンカン リザルト全て2012年9月1日閲覧。
  5. ^ デアゴスティーニジャパン 週刊日本の名車第19号25ページより。
  6. ^ シャレード(ダイハツ)1987年1月~1992年12月生産モデルのカタログ”. リクルート株式会社 (2020年1月5日). 2020年1月5日閲覧。
  7. ^ シャレードソシアル(ダイハツ)1989年3月~1994年4月生産モデルのカタログ”. リクルート株式会社 (2020年1月5日). 2020年1月5日閲覧。
  8. ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第61号19ページより。
  9. ^ シャレード(1993年1月~1999年9月)”. トヨタ自動車株式会社 (2020年1月5日). 2020年1月5日閲覧。

関連項目

外部リンク


「ダイハツ シャレード」の例文・使い方・用例・文例

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