ラリー・フィンランド
ラリー・フィンランド | |
---|---|
2016年 クリス・ミーク | |
状況 | 平行 |
種類 | 世界ラリー選手権 |
日程 | 7-8月 |
頻度 | 毎年 |
会場所在地 | フィンランド湖水地方 |
開催国 | フィンランド |
初回開催 | 1951年 |
ラリー・フィンランド(Rally Finland)は、フィンランドで開催される世界ラリー選手権 (WRC) のイベント。旧称1000湖ラリー (1000 Lakes Rally) 。毎年50万人が訪れる北欧最大のモータースポーツの祭典である。
特徴
1951年にラリー・モンテカルロの予選「ユヴァスキュラン・スールアヨット(ユバスキュラ・グランプリ)」としてスタートし、1959年には「1000 Lakes Rally(1000湖ラリー)」としてヨーロッパラリー選手権 (ERC) の1イベントとなる[1]。1973年からはWRCのレースに組まれる。1994年以降現在に至るまで、フィンランドの石油会社ネステが冠スポンサーを務めている。2020年は新型コロナウイルスの影響により、開催中止となった[2]。 2021年も感染症の影響はあったが10月に延期しての開催となった。また同年はラリー・スウェーデンが中止となり、その代替として国内選手権であるアークティック・ラリー・フィンランドもWRCのイベントとして開催された。
開催地はフィンランド中部の学園都市ユヴァスキュラの周辺。美しい湖と針葉樹の森に囲まれた林道を走るグラベルコースだが、平均速度は135km/h[3]、最高速度は200km/h以上[4]に達するWRC屈指の超高速イベントであり、しばしば「フィンランドグランプリ」と形容される[3]。道幅は広く路面も岩盤質で固く平坦なためスムーズで、ヤンプス[5]と呼ばれる多数のジャンピングスポットや、先の見通せないカーブやクレスト(起伏)が連続する。高速ジャンピングスポットでは20〜30m級の大ジャンプが見られるが[6]、着地地点の先にコーナーがあることが多いため、進入角や空中姿勢のコントロールが要求され、精密なペースノートも必要とされる[3]。
名物ステージとして知られる「オウニンポウヤ[7][8]」は平均速度が高すぎるとして2分割されたりルートから外されてしまったが、2012年に33kmのロングステージとして復活した[9]。スタートから6km地点にあるジャンピングスポットには飛距離測定用の標識が立てられ、2003年にはマルコ・マルティンが57mの最長記録を残している[10]。
地の利がある北欧勢が強いラリーとして知られているが、グロンホルム引退後の2008年以降は若干その傾向が薄れ11年間で5勝にとどまっている。それでも北欧以外出身の優勝者は未だ7人と少ない。
長年マルク・アレンが最多勝記録である6勝及び連覇記録3連覇を保持していたが、1994年〜98年にかけてトミ・マキネンが連覇記録を5に更新し、2007年にはマーカス・グロンホルムが7勝目を飾って最多勝記録を更新した。
歴代優勝者(1973年以降)
年 | 優勝者 | 車輌 | |
---|---|---|---|
ドライバー | コ・ドライバー | ||
1973年 | ティモ・マキネン | Henry Liddon | フォード・エスコートRS1600 |
1974年 | ハンヌ・ミッコラ | ジョン・ダベンポート | |
1975年 | アッツォ・アホ | トヨタ・カローラ | |
1976年 | マルク・アレン | イルッカ・キビマキ | フィアット・131アバルト |
1977年 | キュオスティ・ハマライネン | マルッティ・ティウッカネン | フォード・エスコートRS1800 |
1978年 | マルク・アレン | イルッカ・キビマキ | フィアット・131アバルト |
1979年 | |||
1980年 | |||
1981年 | アリ・バタネン | デビッド・リチャーズ | フォード・エスコートRS1800 |
1982年 | ハンヌ・ミッコラ | アーネ・ヘルツ | アウディ・クワトロ |
1983年 | アウディ・クワトロA2 | ||
1984年 | アリ・バタネン | テリー・ハリーマン | プジョー・205T16 |
1985年 | ティモ・サロネン | セッポ・ハルヤンネ | プジョー・205T16 E2 |
1986年 | |||
1987年 | マルク・アレン | イルッカ・キビマキ | ランチア・デルタHF 4WD |
1988年 | ランチア・デルタHFインテグラーレ | ||
1989年 | ミカエル・エリクソン | クラエス・ビルスタム | 三菱・ギャランVR-4 |
1990年 | カルロス・サインツ | ルイス・モヤ | トヨタ・セリカGT-Four |
1991年 | ユハ・カンクネン | ユハ・ピロネン | ランチア・デルタHFインテグラーレ 16V |
1992年 | ディディエ・オリオール | ベルナール・オセッリ | ランチア・デルタHFインテグラーレ |
1993年 | ユハ・カンクネン | デニス・ジロード | トヨタ・セリカGT-Four |
1994年 | トミ・マキネン | セッポ・ハルヤンネ | フォード・エスコートRSコスワース |
1995年 | 三菱・ランサーエボリューションIII | ||
1996年 | |||
1997年 | 三菱・ランサーエボリューションIV | ||
1998年 | リスト・マニセンマキ | 三菱・ランサーエボリューションV | |
1999年 | ユハ・カンクネン | ユハ・レポ | スバル・インプレッサWRC |
2000年 | マーカス・グロンホルム | ティモ・ラウティアイネン | プジョー・206WRC |
2001年 | |||
2002年 | |||
2003年 | マルコ・マルティン | マイケル・パーク | フォード・フォーカスWRC |
2004年 | マーカス・グロンホルム | ティモ・ラウティアイネン | プジョー・307WRC |
2005年 | |||
2006年 | フォード・フォーカスWRC | ||
2007年 | |||
2008年 | セバスチャン・ローブ | ダニエル・エレナ | シトロエン・C4WRC |
2009年 | ミッコ・ヒルボネン | ヤルモ・レヘティネン | フォード・フォーカスWRC |
2010年 | ヤリ=マティ・ラトバラ | ミーッカ・アンッティラ | |
2011年 | セバスチャン・ローブ | ダニエル・エレナ | シトロエン・DS3 WRC |
2012年 | |||
2013年 | セバスチャン・オジェ | ジュリアン・イングラシア | フォルクスワーゲン・ポロ R WRC |
2014年 | ヤリ=マティ・ラトバラ | ミーッカ・アンッティラ | |
2015年 | |||
2016年 | クリス・ミーク | ポール・ネーグル | シトロエン・DS3 WRC |
2017年 | エサペッカ・ラッピ | ヤンネ・フェルム | トヨタ・ヤリスWRC |
2018年 | オィット・タナック | マルティン・ヤルヴェオヤ | |
2019年 | |||
2020年 | 中止 | ||
2021年 | エルフィン・エバンス | スコット・マーティン | トヨタ・ヤリスWRC |
2022年 | オィット・タナック | マルティン・ヤルヴェオヤ | ヒョンデ・i20 N ラリー1 |
2023年 | エルフィン・エバンス | スコット・マーティン | トヨタ・GRヤリスラリー1 |
2024年 | セバスチャン・オジェ | ヴァンサン・ランデ |
脚注
- ^ “森と湖のグランプリ。”. やっぱりラリーが好きなのだっ!?編集代表のラリーな日々ブログ?. ラリーXモバイル (2017年7月23日). 2017年8月7日閲覧。
- ^ “ラリー・フィンランド、新型コロナウイルスの影響で2020年の開催をキャンセル”. オートスポーツ (2020年6月3日). 2020年6月18日閲覧。
- ^ a b c "FJL12-017:ラトバラ、地元ラリーで表彰台獲得2012年FIA世界ラリー選手権第8戦ラリー・フィンランド". Ford Japan.(2013年8月6日)2013年12月2日閲覧。
- ^ "Rd.10 Neste Rally Finland". SUBARU モータースポーツ.(2005年7月29日)2013年閲覧。
- ^ 英語のjumpsをフィンランド語風に読んだもの。フィンランド語ではhyppy(ヒュップ)あるいはhyppyjä(ヒュップヤ)と呼ばれる。
- ^ "第8戦 ラリー・フィンランド:プレビュー". 日本ミシュランタイヤ.(2013年7月31日)2013年12月2日閲覧。
- ^ "名物ステージ「オウニンポウヤ」のコースレコードを8秒短縮! ミシュランタイヤが驚異のパフォーマンスを披露!". 日本ミシュランタイヤ.(2013年8月4日)2017年7月19日閲覧。
- ^ Ouninpohja、よりフィンランド語に近い表記ではオウニンポホヤ。
- ^ "ラリーフィンランドにオウニンポウヤが復活". RALLY PLUS.NET.(2012年2月16日)2013年12月13日閲覧。
- ^ "大ジャンプはコ・ドライバーの脅威!? オウニンポヤへの挑戦". SUBARU モータースポーツ.(2004年8月7日)2014年1月3日閲覧。
外部リンク
- ラリー・フィンランドのページへのリンク