懸垂式モノレール
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/17 20:34 UTC 版)
鉄道技術研究所では新幹線の研究と並行して、懸垂式モノレールの研究も行っていた。現在実用化されている懸垂式モノレールは時速数十kmで走行するものであるが、当時の三木は新幹線と同様の、時速二百km以上の高速移動手段として研究していた。1951年、試作車がとしまえんに「空飛ぶ電車」として採用されている。 フランスのサフェージュ社が1957年に「サフェージュ式モノレール」を開発すると、これの導入を国鉄上層部に働きかける。サフェージュ社のシャーデンソン氏を招待した説明会が1960年に実現し、政財界から大きな関心が寄せられた。サフェージュ式モノレールは、国鉄ではなく、民間出資の企業で導入を目指すことになり、1961年に日本エアウェイ開発が設立される。三木も1962年に鉄道技術研究所から日本エアウェイ開発に移籍した。 1964年に開業した名古屋市交通局協力会東山公園モノレールでは、予算と開発期間の都合上、サフェージュ社の車両をコピーしたものしか製作できなかったが、1970年開業の湘南モノレール江の島線の300形電車は、三木が技術監修したものである。湘南モノレール開業に先立つ1969年11月、デュッセルドルフで開催された「Aluminium Car for Rapid Transit」というシンポジウムで、「Present Status of the Monorail in Japan」という講演を行う。富士山を背景に湘南モノレールが試運転される映像がスクリーンに映し出されると、会場から大きな拍手が湧いたという。1988年開業の千葉都市モノレールの車両開発にも、技術顧問として関わった。
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