懸仏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/30 16:35 UTC 版)
懸仏(かけぼとけ)は、鏡板に仏や神の像を刻んだり貼り付けた器物。御正体(みしょうたい)とも呼ばれる。神仏習合の思想に基づいて制作され、神社や寺院に奉納された例が残っている。
平安時代中期(10世紀ごろ)から銅鏡の鏡面に仏の姿を毛彫り、線刻した鏡像(きょうぞう)が制作されるようになる。鏡像は次第に華美となり、立体的な仏像を鏡面に彫刻ないし添付することが増加した。これらの器物は、本地垂迹の思想から「神の真なる姿」という意味で「御正体」と呼ばれた。壁に懸ける目的で吊り輪を取り付けたものも多くあり、そこから「懸仏」とも呼ばれる様になった。南北朝時代以降は次第に像が簡素化し、装飾が豪奢になる傾向があった。
懸仏は江戸時代まで作成されていたが、明治の神仏分離と廃仏毀釈に伴い、神社に奉納されていたものは多くが取り払われ、失われた。
重要文化財に指定されている懸仏
| 名称 | 制作年代 | 所在地 | 
|---|---|---|
| 金銅釈迦如来像御正体 | 平安時代 | 岩手県中尊寺円乗院 | 
| 金銅千手観音像御正体 | 平安時代 | 岩手県中尊寺地蔵院 | 
| 熊野那智神社懸仏 | 平安~鎌倉時代 | 宮城県熊野那智神社 | 
| 金銅聖観音像懸仏 | 鎌倉時代 | 山形県若松寺 | 
| 木造十一面観音像懸仏 | 鎌倉時代 | 山形県昌林寺 | 
| 金銅鑁字御正体 | 鎌倉時代 | 栃木県鑁阿寺 | 
| 金銅聖観音像懸仏 | 鎌倉時代 | 東京都東京国立博物館 | 
| 銅造十一面観音懸仏 | 鎌倉時代 | 神奈川県長谷寺 | 
| 金銅十一面観音釈迦聖観音像御正体 | 鎌倉時代 | 長野県岩殿寺 | 
| 御正体 | 鎌倉時代 | 長野県仁科神明宮(大日如来等) | 
| 金銅聖観音像懸仏 | 文永6年(鎌倉時代) | 静岡県 | 
| 金銅馬頭観音御正体 | 鎌倉時代 | 愛知県東観音寺 | 
| 那比新宮信仰資料 | 鎌倉~南北朝時代 | 岐阜県那比新宮神社(虚空蔵菩薩等255面) | 
| 星宮信仰資料 | 鎌倉時代 | 岐阜県星宮神社(十一面観音、虚空蔵菩薩等40面) | 
| 木板彩画懸仏 | 建治元年(鎌倉時代) | 石川県高爪神社 | 
| 葛川明王院御正体 | 室町時代 | 滋賀県延暦寺妙応院 | 
| 金銅山王十社御正体 | 鎌倉時代 | 奈良県奈良国立博物館 | 
| 熊野十二社権現御正体 | 鎌倉時代 | 奈良県奈良国立博物館 | 
| 金銅山王十社御正体 | 鎌倉時代 | 奈良県奈良国立博物館 | 
| 金銅千躰阿弥陀懸仏 | 鎌倉時代 | 奈良県奈良国立博物館 | 
| 大神宮御正体 | 鎌倉時代 | 奈良県室生寺 | 
| 大神宮御正躰 | 鎌倉時代 | 奈良県西大寺 | 
| 銅製薬師三尊懸仏 | 貞治5年(南北朝時代) | 奈良県霊山寺 | 
| 金銅山王本地仏懸仏 | 鎌倉時代 | 奈良県 | 
| 金銅春日鹿御正体 | 南北朝時代 | 京都府細見美術館 | 
| 金銅観音菩薩像御正躰 | 平安時代 | 島根県法王寺 | 
| 金銅蔵王権現像御正躰2点 | 平安時代 | 島根県法王寺 | 
| 銅板線刻十一面観音像懸仏 | 保元2年(平安時代) | 島根県 | 
| 彦山三所権現御正体 | 鎌倉時代 | 福岡県英彦山神宮 | 
参考文献
- 今泉淑夫 編『仏教史大辞典』p.131 1999年
外部リンク
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懸仏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/02 07:14 UTC 版)
「熊野神社 (大船渡市末崎町中森)」の記事における「懸仏」の解説
附宮殿厨子、直径9.9〜23.3cm。銅造15面、鉄造4面の計19面。銅造は押し出し仏像を装着したもの10面、円板に鋳造したもの3面、板金に裏から毛掘りし、表面に図象を表したもの2面。鉄造は、円板に鋳造したもので、通仏相の如来坐像3面と阿弥陀坐像1面。1975年3月4日、県から有形文化財に指定された。
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