シスマ
教会分裂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/05 08:59 UTC 版)
「アレクセイ (モスクワ大公)」の記事における「教会分裂」の解説
詳細は「ロシア正教会の歴史#ニーコン総主教およびその後の改革」を参照 1653年、モスクワ総主教ニーコン(ロシア語版、英語版)は改革を実施し、ロシア正教会の慣習をギリシャ正教会のそれと合わせようとした。例えば、十字を描くとき、2本の指ではなく3本の指で描くことを強制した。これはロシアの教会で大反発を引き起こしたが、アレクセイはニーコンが1658年に個人的な侮辱により離任するまで彼を支持した。 1666年、アレクセイはモスクワ教会会議(英語版)を開催した。会議はニーコンの改革の問題を解決しようとするものであり、アンティオキア総主教マカリイ3世(英語版)やアレクサンドリア総主教パイシオス1世(英語版)などが出席した。教会会議ではニーコンを正式に追放することが決定されたほか、教会の改革に反対したものを全て破門に処することも定められた。これによりロシア正教会から分離した一派は古儀式派と呼ばれた。
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