西ゴート王国とは? わかりやすく解説

西ゴート王国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/27 02:10 UTC 版)

西ゴート王国(にしゴートおうこく、ラテン語: Regnum Visigothorum、415年 - 711年)は、現在のフランス南部からイベリア半島にあたる地域を支配したゲルマン系王国である。はじめはキリスト教アリウス派、のちにカトリックを国教とし、ゲルマン文化・ローマ文化・キリスト教文化を融合させ栄えた。ビシゴート王国とも[1]


注釈

  1. ^ ヘルメネギルドの乱など。
  2. ^ 『ゴート人の歴史』によればシセブト王は、「自然死とも、薬の飲み過ぎとも、ある人は毒殺ともいう」と記され、「父王(シセブト)の死後、息子レカレド(2世)が数日間統治して死んだ」と続いている。
  3. ^ 実際、レカレド2世から王位を奪ったと考えられているスウィンティラも631年に有力者シセナンド(一説に息子)がフランク王ダゴベルト1世の支援を受けて蜂起し、王座を追われ、修道院で死去した。他にも642年のトゥルガ王に対するキンダスウィントの蜂起=成功、653年のキンダスウィントの死の前後、既に共同王となっていたレケスウィントに対するサラゴサを中心としたフロイアの乱=失敗、ワムバ王は共同王からの即位ではなかったが、即位直後(672年)にバスコ地方のイルデリコの反乱(=失敗)とパウルスの反乱(=元々パウルスはワムバ配下の将軍で反乱鎮圧の為にナルボンヌに派遣されたが、到着するや自ら反乱の中心に立ち、王位を要求したが失敗、捕らえられたが、エルウィグの時代に恩赦)に見舞われ、680年にエルウィグの陰謀によって毒薬を飲まされ、瀕死の状態でいる時に髪を剃り落とされ、気がついた時には既に修道服を纏わされていた。第4回トレド宗教会議で「王は髪を長くすること及び僧職の衣服を纏ってはならない」と定められていた。ワムバは一度は復位を要求したが却下されて、エルウィグが王位を簒奪した。ワムバはブルゴスの修道院で余生を送り、688年に没した。エルウィグからエギカ(娘婿)、エギカからウィティザ(息子=共同王)はスムーズに王位継承が成ったが、王国滅亡直前にはアギラ2世(ウィティザの息子)に対してロデリック(キンダスウィント・レケスウィント父子の親類)が蜂起して王座を得、王国が二分されている。両者の対立に乗じてイスラム勢力がイベリア半島に進出し、711年のロデリックの戦死で事実上、西ゴート王国は滅亡した(アギラ2世は714年頃まで王を名乗って抵抗を続け、アギラ2世の死後はアルドが王位を引き継いだとみられるが、721年頃にイスラムの侵略の最中に死去したと考えられる)
  4. ^ 東ローマ帝国領であるスパニア属州を征服し統一が完了。統一年に関しては史料が少なく、研究者の間で621年624年625年628年629年など複数の説が唱えられており確定することができていない。但し、シセブト王の時代(612年 - 621年)に完全に優勢となって、ほぼ征服事業が終わりに近づきその子レカレド2世(621年)の短期間の統治の後、スウィンティラ王の時代(621年 - 631年)に統一が果たされたという見解が主流であるが、前述の通り、634年以降とする見解もある。

出典

  1. ^ 五十嵐ミドリ 1992, pp. 245–247.
  2. ^ a b 足立広明 1999, p. 214.
  3. ^ 柴田三千雄, 樺山紘一 & 福井憲彦 1995, p. 124.
  4. ^ ブライアン・ウォード=パーキンズ 2014, p. 36.
  5. ^ 関哲行, 立石博高 & 中塚次郎 2008, pp. 37–38.
  6. ^ 山田信彦 1992, pp. 34–35.
  7. ^ a b 関哲行, 立石博高 & 中塚次郎 2008, p. 40.
  8. ^ 玉置さよ子 1996, p. 56.
  9. ^ 尚樹啓太郎 1999, p. 66.
  10. ^ 関哲行, 立石博高 & 中塚次郎 2008, p. 46.
  11. ^ 玉置さよ子 1996, pp. 56–57.
  12. ^ 玉置さよ子 1996, pp. 30–38.
  13. ^ 関哲行, 立石博高 & 中塚次郎 2008, pp. 48–49.
  14. ^ a b 阪西紀子 2004.
  15. ^ a b c 橋本龍幸 1988.
  16. ^ Roger Collins 2004, p. 67.
  17. ^ 尚樹啓太郎『ビザンツ帝国史』(1999年 東海大学出版会)P190-191
  18. ^ 西川、p. 22
  19. ^ 西川、p. 24
  20. ^ 関哲行, 立石博高 & 中塚次郎 2008, p. 56.
  21. ^ 玉置さよ子 1996, pp. 90–98.
  22. ^ 保坂高殿 2008, pp. 339–340.
  23. ^ Roger Collins 2004, pp. 64–65.
  24. ^ 玉置さよ子 1996, pp. 70–77.
  25. ^ 関哲行, 立石博高 & 中塚次郎 2008, pp. 51–52.
  26. ^ 玉置さよ子 1996, pp. 8–9.
  27. ^ 玉置さよ子 1996, pp. 7–8.
  28. ^ 下津、p. 209
  29. ^ ミュソ=グラール、p. 102
  30. ^ 関 他、p. 37-64
  31. ^ 鈴木、43-84






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