エジェイ・ハーン
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エジェイ・ハーン (モンゴル語: Эжэй хаан ᠡᠵᠡᠢ
ᠬᠠᠭᠠᠨ、中国語: 額哲孔果爾、 1622年 - 1641年3月4日)[1]、あるいはエルケ・ホンゴル・ハーン(Erke qonγgor qaγan)[2]は、モンゴル帝国最後の皇帝(ハーンとしては第41代、北元としては第27代、1634年 - 1635年)、チャハル・トゥメンの当主。チャハル部の親王(チンワン、1635年 - 1641年)。リンダン・ハーンの息子。後金(清)のホンタイジに敗れて降伏し、チンギス・ハン以降429年続いたボルジギン氏のモンゴル帝国は終焉を迎えた。
- ^ 喬治忠(中国語)『清文前編』北京圖書館出版社、中華人民共和國、2000年。ISBN 9787501317066。"崇德六年(一六四一)正月二十五日皇帝聖旨:嘘爾額哲孔果爾原係大元之裔,察哈爾汗之子。及為联得,心甚愛之,故配以公主,為固倫額駙,仍冊封為和碩親王。不意爾生於壬戌年,甫二十而遂發於今辛巳年正月二十三日。"。
- ^ 『蒙古源流』の表記に拠る(岡田2004,pp320-321)
- ^ 岡田2010,p324
- ^ 岡田2010,pp82-84
- ^ a b c 趙爾巽など (中国語), 清史稿、巻166, ウィキソースより閲覧。
- ^ 森川1983,pp101-102
- ^ 森川1983,pp102-103
- 1 エジェイ・ハーンとは
- 2 エジェイ・ハーンの概要
- 3 参考資料
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